「先生、聞いてよ、あのね…」

 うちの教室の子は、いつもこう言って話し出します。
 とにかく話好き。学校の話、友達の話、恋の話、進路の話、何でもよく話します。特段、こちらが話かけるわけでもなく、残って話をしていこうと指導しているわけでもありません。もちろん最初はビクビクしているのですが、一旦「ここでは何でも喋れる」と気づくと、堰を切ったように話し出します。

 早い子だと、入塾するまでの数回の来塾で打ち解け、初日から残って相談づくし、「オマエ、随分前からいるような気がするな(笑)」って子もいます。

 「よく喋るなぁ…」と思うのですが、なぜこのような現象が起こるのかと考えるに、子供はやはり大人と喋る機会を求めているのではないかと思うのです。

 現に、「塾長がお休みの日に来てもつまんないから来ない」という生徒もいます。「K先生(私)、いないの?」と探す子もいます。

 そういえば、以前、「あの高校生達のどの姿を見て『余裕がない』などと言えるのか」とどこかに書いたことがありますが、今どきの高校生のほとんどは、アルバイトをする時間を十分持っていますし、彼氏彼女と遊ぶ時間を十分持っています。漫然と時間を過ごしている子も多く、「何か面白いことないですか」と聞く子も以前より増加しています。

 だからといって、短絡的に「勉強させろ」ということではないのですが、とにかく「制度だけ変えればいいんだろ」的な発想はやめて欲しいところです。
 これだけ未成年が事件を起こす(老人もキレてますが…)世の中で、大人は子供にしっかりと向き合わなければならないのだと思います。

 あれらの子供は、きっとどこかでシグナルを送っていたはずです。もちろんサイコパス(人格障害)的に育ってしまった子もいるでしょう。しかし、死刑が決まった少女誘拐殺人のM事件に始まり、秋葉原の事件に至るまで、ほとんどが10〜20代の頃に「親の無関心さ」「孤独感」「生に対する非現実感」を持っていたと言います。

 子供に向き合うということは、つまり「子供と話をすること」

 お父さん・お母さんのよくやる失敗は、子供とコミュニケーションを取ろうとして、「最近どうだ、学校は?」とか、「進路はどうするんだ」「勉強しなきゃダメだぞ」「お父さんの頃はなぁ」と、会社の部下とも話さないような内容から入ることです。この手のネタは、私達でもかなり仲良くなってからじゃないと使えません。

 「エグザイルって、いいよね」「コブクロの曲聞かせて」なんていうのは、下心が見え見えで子供にバカにされるだけ(笑)

 たまには遠くの(近くはダメです)スーパーにでも家族で買い物に行ってみてはどうですか?

 ドライブなんかもいいかも知れません。他愛もない話をしましょう。子供の感性に触れてみる… そんなことが必要だと思います。
 子供との共通体験をつくり、子ども自信が「きちんと愛されている」と実感できれば、その子供はいい子に育ちます。

 実践されている方が当教室には多いと信じていますが(笑) 何でも話せる(一部例外はあるでしょうが…)大人でありたいものです。