以前、千葉の組合でお世話になった先生のご葬儀で、木更津の手前、袖ヶ浦まで出かけました。 

 6月に千葉の組合の皆さんが開いてくれたパーティに出席してくださって、久々にお話できたのですが、それが最後になってしまいました。

 思えば、波乱万丈な方でした。
 彼とは組合員だったという表のつながりのほかに、もう一つ、以前私がお世話になっていた経営コンサルタントの先生関係で繋がっていて、その席でお会いすることも何度かありました。
 彼には大学受験のノウハウをいろいろ教えて頂いたり、教室を見学させて頂いたり、実は何かとお世話になっていました。

 大学受験のテキストを教えてくれたのも彼ですし、クラスと個別を組み合わせるという発想をもらったのも彼です。多くの見学者がいた塾でしたが、そのすごさを見抜けた人は僅かだったと思います。
 彼の教室には、綿密に計算された計画と、その裏付けとなる教材の数と、そして独特の手法がありました。皆は見抜けなかったのだと、あの当時思いました。

 そして、私はそれを見抜けた… いやそんなものじゃありませんね、理解させていただいたという程度でしょうか。とにかく、やっていることが分かりました。
 ですから、千葉にいた頃、私の塾は、当時としては珍しい「高校部」を立ち上げました。しかも独自ブランドで。

 あの当時、実はサテライン予備校の資料も請求をしていました。ある衛星予備校は何度も営業マンが来て、随分手の内を教えてくれました。しかし、結論は独自ブランドでした。「〜高等学院」と、高校部だけの名称は作りましたが、結局入ってしまえば同じこと(笑)

 それが出来たのは、彼のメソッドを理解してしまったからです。そして、私のメソッドをブレンドして、システムを作れば実績が出るとわかったからです。私はアンチ大手路線を突き進むことにしました。

 彼の塾から頂いたものは非常に大きいものでした。大学受験をメインに出来たのも、彼のおかげであると言っても過言ではありません。

 享年53歳。 若すぎます。いや、ホント、若すぎる…
 意外に年上だったんだなぁ…と思いますが、53は若い。
 あまり健康的な生活をしているようには思えませんでしたが、それでもイベントなどの役員をしている時、大きな身体でスタスタ動き回っていたのが印象に残っています。身のこなしは軽かったように思うのですが… 

 あと13年。
 もう、そんな歳なんですね。
 それにしても、知り合いが亡くなると言うのは悲しいものです。元々狭心症を持っていたそうですが、それにしてもあまりに突然すぎます。怖い…

 最後のお別れはしてきましたが、あの大きな体と、飄々とした喋り&風体。 冷たくなって横たわっていた彼に対面して、酷く狼狽しました。ただ手を合わせるしかありませんでした。普段からそんなに親しくしてきた方ではありませんが、ひとかたならぬ恩はあります。

 謹んでご冥福をお祈り致します。