学校の授業が分からないから聞かないという子が増えている気がします。
「えーっ? 授業とか、聞かねーし(笑)」
なんて。
本当に知らなくていいのかな?
それだけ、学校に対する真剣さも、授業に対する真剣さも消えているような気がします。

出来なくても卒業させてやるのがいいのか、出来るまでやらせてやるのがいいのか。昔近所の塾長と意見がぶつかったことがあります。
私は、出来ない子が少し遠回りしても社会に受け入れられる環境作りが必要だと思っています。
何せ、自分が大学7年も行っているものですから(笑)
要は、学校の門を潜り抜けてくるだけが目的ではなく、ある程度出来るようになることが目的なのですから、チョットくらい遠回りしてもいいじゃないですか。それを「留年した」「無駄な時間を過ごした」などと目くじらを立てる方が、「何と余裕の無い!」と思うわけです。

すると、その塾長は、「どーしてそんな風にしか考えられないかな?」と怒っていました。どんな出来ない奴でも、何とか補習やレポートとかでクリアさせてやるのが温情だと。そんなふうに遠回りさせたりしたら、やる気もなくなるし、苦しい思いをさせるだけだと。

初めてサシで飲んで、この意見対立ですから、当然その後も仲良くはならないわけで(笑)

私は今でも温情で成績を甘くみるのは反対です。
私自身、3回目の留年で、4年目の2年生が決まるか決まらないかの時、さすがに焦って、原因だったドイツ語の先生に交渉に行ったことがあります。「話だけでも聞いてください」と。で、研究室に呼ばれ、言い訳がましいことを一生懸命言いました。しかし、その先生はさんざん私の話を聞いたあと、「若い頃の遠回りは大したことじゃないよ」とのたまって、救済策もなく、結局単位はくれませんでした。本当に鬼だと思いましたが、翌年、その先生のドイツ語講義に一生懸命出て、その先生の授業で単位を取り、3年生に進級しました。

あの時、温情で救済策を出してくれて、単位をくれたらなら、今頃本当に世間をナメくさっているダメ人間になっていただろうな…と思うことがあります。あの時、単位をくれなかったことで、妙にその先生に愛着を感じて、翌年の授業は一生懸命に出たのを覚えています。

そういう厳しさも、必要なんじゃないかな?と思うんですね。
その先生は一昨年他界されました。奥様に、上記の経緯をお手紙したところ、丁寧なお返事を頂きました。亡くなる前に、一度直接お会いしてお礼を申し上げておくべきだったと残念に思っています。

が、学校というところではそれはまた考え方が異なります。先日How To Study講座においで頂いた川合先生とお話をしている際に、「学校は敗者を作らないから…」
なるほどね… 学校は敗者を作っちゃまずいんですね。そういう考え方もあるんですね。確かに。なかなか難しいですね。