「考えない子」というのが問題になっています。講師の中からも、「なかなか考えないで、すぐヒントをもらいたがる」という相談が上がってくる生徒が数名います。ウチだけの現象なのかな?と思っていたら、塾の先生どうしの情報交換の場でも、最近こういう子が問題になっているという話題が出ました。全体的な現象なのかもしれませんね。

 で、思ったのですが、「考えない」というのは、確かに面倒くさがっているとか、サボっているというのもあるのでしょうが、実は、「何をどう考えてよいのやら分からない」という子が多いのではないでしょうか。つまり、「考える」という手法を全く理解していない子が多いのではないかと思うのです。

 ことさらに批判しても仕方がないのは分かっていますが、例の「ゆとり教育」が「亡国の教育」であったことはもう既に明白です。子ども達は思考力も知識力も、何もかもを失ってしまったといっても… まぁ、それは言い過ぎか(笑) でも、大きなマイナスであったことは確かですね。授業の時間数も大幅に減りましたから、先生方は必要最低限のことだけしか生徒に教えられなくなりました。だから、学習の方法論や、先生の体験談、失敗談… 子どもの成長に実は大切なことなのですが、その知恵を教えることすら出来なくなった…と言うのが、一面の真実でもあります。

 子ども達に求められている「考える」という作業は、ゆとり教育でやった、「ゼロからものを発想する」というムチャクチャなことではありません。習ったこと、教わったことの中からヒントになる部分を探し、当てはめ、応用してチャレンジしてみる… それがここで言う「考える」なのですが、どうも生徒達は、「考えなさい」と言われると、ボーっと空を見つめ、どこから降りてくる天の閃きを待っているような節があります。「どこ見てんだ?」「ボケっとすんな!」と叱られますが、あれが考えるということなんだろうと、子ども達は勘違いしていますね、たぶん。

 考えるためには、「知識」が必要です。知識の無い子が「考える」ことなど出来ません。なぜなら、「考える」とは、持ちうる「知識の運用」を指している言葉だからです。英単語を知らない子は、英語の問題を100年考えても分からないままでしょうし、公式を知らない子が数学の問題を1000年考えても答えは出せないでしょう。「これは何」「これはこういう意味」という「知識」がまず必要なわけです。「知識がなくても大丈夫」などという人がいれば、それは欺瞞・まやかしでしかありません。

 そんなことは分かっているとたかをくくっていると、エライ目にあいます。子どもの「考えられない」本質的な理由をきちんと明らかにしていく必要もあるようです。