今年から、私立高校の「併願推薦」という制度が無くなったのをご存知ですか? 都立高校と併願をする生徒は、一月中に推薦試験で私立を決めることも出来ませんし、二月の一般入試で他の私立高校にチャレンジするチャンスもなくなりました。併願の受験生には一般入試で優遇がある学校が多いようですが、それでもこの突然の制度変更は、受験生には大きな不利。併願推薦をアテにしていた生徒には打撃です。

 加えて、一一月八日の読売新聞一面の報道にもあったように、二〇一一年度入試(現中二が受験)から、都立高校の推薦入試の募集定員を大幅に削減するという発表がありました。都の教育委員会は進学指導重点校を中心に定員を半減させる方向で、特に上位の日比谷高校や戸山高校などでは定員枠を一〇%程度にもって行きたいのだそうです。入試の多様性や学力偏重からの脱却のために導入が進んだ推薦入試も、ここへ来て大きく学力回帰の方向へ舵を切ります。

 この二つの入試制度改革のどちらも、要は「実力重視」という共通点があります。これは、今までの推薦入試が学力試験を行なわず、中学校の教師が作成する「内申書」の点数と面接程度で選抜が行われるため、不公平さが目立ったこと、また内申書の評価方法が「絶対評価」に変わったために、学校によって評価がバラバラで、本当の意味での学力レベルが分からなくなってしまった…というのが原因。今後は、「きちんと実力が問われる」という入試になってくるということです。

 「子孫に美田を残さず」「児孫のために美田を買わず」などと言われます。お子さんが一生遊んで暮らせるほどの資産をお持ちの方なら分かりませんが、一般的なサラリーマン家庭や、普通にお仕事をされているご家庭ならば、それほど莫大な資産を残してあげることは出来ないでしょう。
でも、それにも勝るものがあります。お子さんに残せる最大の財産は「教育」なのです。質の高い、正しい「教育」をお子さんに与えることです。大人になってからもしっかりと考えて、様々な難題を乗り越えて行くことが出来る人間になるようにする、それが「教育」なのです。

 つい先ごろまで行われていた「ゆとり教育」の時代に、「勉強が出来ないのも個性だ」などと言って、今の自分で十分…などという教育がまかり通ってきました。しかし、そんな方針に疑問を感じた保護者達は、みな中学受験に走り、世は中学受験全盛。勉強しなくてもいい、勉強など出来なくてもいい、そんな風に思っている人は、意外に少なかったのだと思われます。
今の大学生も、就職できるか出来ないか、そんなことばかりが興味関心の中心です。世界に出て働きたいとか、自分で起業したいなどという、バイタリティにあふれ、また幅広い視野を持った逞しい大学生に出会うことはなかなかありません。

 しかし、そんな学生達とよく話してみると、「ああ、知らないんだな…」と思うことが多々あります。知識が無いので、発想が浮かばないのです。知恵も身についていないのです。我々大人も、よく思い返してみると、発想や知恵の基礎になっているものは、実は「受験勉強」であることが多いのではないかと思います。大人になってから取得した資格のための勉強も、実は受験勉強がベースになっていることが多いでしょう。

 「生きる力を身につける」ということがゆとり教育のテーマだったはずです。しかし、併願推薦廃止、推薦入試大幅削減、学力回帰という教育制度の方針転換は、結局「勉強させること」が一番の「生きる力」になるのだという結論に至ったのではないかとさえ思わせます。

 「子どもは勉強など嫌いだ」というのは本当でしょうか? 中学受験の生徒などを見ていると、大人がビックリするほど勉強しますし、教えているこちらが感動するほど努力もします。「勉強したい」「もっと知りたい」そんな意欲を強く感じます。大人はいったい何時から「勉強などつまらない」と勝手に決めつけたのでしょう? 子どもが勉強したくないのではなく、大人が勉強させたくないのでは? などと思ってしまうこともあります。

 教育は、お子さんの未来のための「投資」です。投資ですから、長期的に考えねばなりませんし、ほんの一時期だけ、オイシイとこ取りしよう…などとはなかなかいきません。しかし、教育ほど、かけたらかけた分だけメリットが返ってくる投資もありません。確実にお子さんの未来に「生きる知恵」という形で返ってきます。

 我々桜学舎は、小さな塾ですが、巷の学習塾のような「試験をすり抜けるための指導」はしません。本当の学力を身に付けることを目標としています。価値観を共に出来る教育意識の高いお母様をお待ちしています。