このところ、教師の不適切な問題作成が随分と事件になっていますね。校長先生を殺害した先生は誰か?なんてクイズを出した高校教師、友達の葬儀で好きになった男子に会うために、姉妹を殺せばいいという答えを出した新任女性教師などなど、枚挙に暇がありません。

 これをどうとらえるかは、実はかなり難しい問題だと思います。確かに、事象だけを客観的に見れば、何と不適切な問題を作るものだろうと思います。同様の問題を作るにしても、もう少しヒネリ方があるでしょう…と思います。要はですね、センスが無さ過ぎるんです。センスが。本当に稚拙だとは思います。

 が、実は現場にいる教師からすれば、この程度のことでいちいちTVで報道されるほど騒がれてはやっていられないというのが本音のところでしょう。だって、子どもたちは毎日のように、「うわ、オレ死んだ!」「うわ〜、マジ死ぬ!」「オマエ、殺すぅ〜」なんて会話をしていますから(笑) 確かに字面だけ見ると、何ともおぞましい言葉が並んでいますが、実際その場では笑顔で言っていたり、楽しそうにワーワー言っているわけですから、誰一人として本当に殺意を持っているわけでもなく、死への恐怖を感じているわけでもありません。というか、ありえませんよね? で、こんなのって、お父さん、お母さんたちが子どもの頃から当たり前のように、日常会話としてなされてきたもの。最近は聞かれなくなりましたが、我々はコワイ先輩に「半殺し」の目に遭うなんてことは普通にありましたしね。おはぎのもち米を「半殺し」にするってのも、ダメですかね?(笑)

 コマワリ君って覚えてますか?(お父さん、お母さん) 「ガキデカ」という漫画の主人公、そうあのキャラです。決め文句は、「死刑っ!」でしたね。小学生のころ、当たり前のように、ほぼ全員が何のためらいもなく「死刑っ!」って言ってましたよ。間違いなくね。でも、あれで死の恐怖を感じたり、死刑執行の残虐さを感じ取っていたでしょうか? まさかね(笑)

 ですから、どうなんでしょう。「もう死んじゃう」「死ぬ気でやれ」「オマエ殺す!」って、明らかに別の意味で「死ぬ」という言葉を使っているのまで、目くじらを立てて不謹慎だとわめきたてる、いわゆる「言葉狩り」をして、この世からこのような言葉を抹殺することが正義なのか。
 はたまた、こんな程度の言葉を、当然悪い言葉だと知りながらも、寛容な心で容認し、社会の「遊び」の部分としてあまり「気にしない」というのが健全であるという考えが「正義」であるのか…

 どちらも、理屈ではどうとでも言うことが出来ます。皆さんのお考え次第だと思いますが、私はどちらかというと後者を支持します。言葉狩りは全くの不毛。差別用語が聞かれなくなってから、「差別を意識せずに自然と差別をしている人間」や、「あえて悪意を持って差別用語をネット上で、しかも匿名でばらまき続けている人間」などが増えたように思います。もちろん、弱者の立場に立つことは最も重要なことですが、過度な言葉狩りは宗教じみてきますし、何時の間にか論理や立場のすり替えがなされます。悪用されるのですね。

 そういえば、言葉狩りに激怒し、断筆した経験があるのが作家・筒井康隆氏。彼の主張も強烈でしたね。また作家活動を再開されていますが…

 もちろん報道されているような先生たちを擁護するつもりは全くありませんし、出来ることなら使わない方がいい言葉であることも重々承知です。しかし、そんな大したことでもないというのも事実です。生徒の言葉で話そうとした努力の結果なのかも知れません。ただ、それが大人としてあまりに「センスの無い」言葉であった、残念である事例だということだけなんだと思います。

 言葉のセンスを磨く努力をしたいものです。
 私の駄文は一応棚にあげて申し上げますがね(笑)