「ダメだ!」

 今の子はなかなかそう言われて育っていない気がします。

 「自分で考えなさい」
 「そういう考え方もあるけど…」
 「それでいいと思う?」

 そんな風に優しく育てられているので、自分で何でも考えてやればいいのだと思い込んでいることが多々あります。また、自分で考えることが最善なのだと、大人も誉めてくれるのだと、そう思っているところがあります。もちろん、ゆとり教育という例の指導で、そう習ってきました。他人なんて関係ない、あなたがいいとおもったことがベストですよ!だってあなたはオンリーワンなんだから!(またオンリーワン批判です(笑))

 だから、今の小学生、特に男子は全般的に人の話を聞く力や、紙に書かれた指示を読んで理解する力が著しく劣っているように思います。能力的にということではなく、訓練されていない、つまりそういうことを習っていないのです。

 授業中に平気でトイレに行きます。行かせないのは人権侵害なんだと習っているようですね。確かにそうかもしれません。緊急事態の時は、大人でも行くでしょう。しかし、授業中に平気でトイレに行くことがマナー違反であるとは習っていないみたいです。

 学校では「勉強を習う」ということもありますが、集団生活でのマナーや躾などの効果を期待して学校に行かせているところもあります。しかしマナーやルールさえも身に付けていない子がゾロゾロいるというのは困ったものです。

 「ダメなものはダメ」 こんなの当たり前です。子どもが100%納得して、自らの意志で困難に立ち向かうことはありません。少なくとも私は、サボることばかり考えていましたし、遊ぶことばかり考えていました。出来る限りやりたくない勉強をせずに、うまいことスルーする方法は無いものかと考えていましたよ。それが子どもだと思うのです。

 年がら年中強権発動している親御さんも、これまたその威力が半減しますから子どものコントロールが上手くないと思うのですが、ある程度「親の意志」を教育に反映することが「当然」であると思います。やると言ったらやるし、ダメなものはダメなんですから。「オマエに選択権は無い」ぐらいの強烈さが今の子には逆に新鮮なようです。

 ハッキリ言って、私は小学生には「理不尽」な事も言うでしょう。まさに「ダメなものはダメ」、何でですかと聞かれても、「うるさい」「ダメだから」などと実も蓋もない返事をしたりします。下手をすると、「オレが決めたから」などと言う場合もあり、「先生ヒドイよ…」と嘆かれることもありますが、だからと言って嫌われたりしてはいないようです。むしろ私の周りにはいつも生徒がいます。楽しそうに話をしてくれます。

 子どもたちは私の「ダメ」「良し」を判断基準にしているのだと思います。私が判断する善悪を、塾内のルールとして学習していますね。だから、「コレは先生は良しとしないだろう」「これは許されるだろう」と学んでいるように思います。本来、大人はそうすることで、子どもに一つの社会的善悪の判断基準を与えていた気がします。

 「だからな、オマエ達は勉強に関してはオレの奴隷と同じ! ほれ!言うことを聞け!(笑)」
と言うと、
 「じゃ、入試が終わったら、奴隷解放宣言が出るんですね?」
うーん、ウマイ返しだな。
なかなかいいツッコミだ。
こう、ウィットに富んだことが言える小学生、素晴らしいですね。