今や、入試は推薦入試全盛。
 一般入試はよほど特殊なケースでないと受けさせることはありません。
 

 都立志望の子は、都内生はB推薦が不可能になりましたので、確かに一般入試を受けるのですが、その際は「併願優遇」という、まぁ、「合格予約」みたいな状態で受けることになりますから、フリーで受けるととんでもなく不利なことになります。私立第一志望で、一般入試を受けるというケースも稀でしょう。第一志望なら単願推薦で受ければかなり有利ですから、それでいいわけです。


 どのケースでも問題になってくるのが「内申点」です。中3の2学期の成績がそのまま内申点になると思われているフシがありますが、実は「通知表」の成績と「内申点」は異なります。内申は、都教委に提出する公的な数値ですから、通知表の数値と異なる場合が多々あります。通知表では5でも、内申は4だった…なんてことはしょっちゅうですから、気をつけねばなりません。

 ただ、観点別評価や、特記事項(生徒会や部活動、取得資格など)の数値化もよくあることですし、そもそもこれらの数値は、「絶対評価」という名の下に、学校の教師の主観で付けられていることが多いものです。なぜ、生徒の学業だけではなく、生活や性格、課外活動なども数値化して評価しようとするかが私にはわかりません。

 以前、通知表の成績が悪い子は、単なる「勉強の出来ない子」でした。だから、「勉強が出来なくったって、オマエには野球があるじゃないか!」
なんて励ますことが出来ましたし、子どもも生きる道がありました。「勉強だけが人生じゃないさ」と言うことも出来ました。


 しかし、今や通知表の成績が悪い子、イコール「悪い子」になってしまっています。1や2が付いているということは、つまり「提出物を出していない」「授業態度が悪い」「素行が悪く先生に目を付けられている」という意味に取れます。つまり、勉強が出来ないだけではなく、「生活態度や素行の悪い子」「学校に行っていない子」という評価になりがちなのです。これでは、子どもは救われません。

 その子の性格など、数値で評価できるわけがありません。いくらいい子でも、引っ込み思案の子もいるでしょう。しかし、それが「積極性が無い」「意欲に欠ける」などと大きなマイナスになります。こういうレッテルが原因で、いくら努力し、いくら実力をつけても成績を上げてもらえない子は沢山います。

 その生徒の、学業以外のいい部分を評価してあげようという配慮からこんなことになっているのでしょうが、それがかえって生徒たちを苦しませ、がんじがらめにされて、監視されるという不自由な状況に追いやっています。日々の生活が評価の対象だとしたら、子どもは全く落ち着く暇も無いでしょう。


 シンプル・イズ・ベスト。
 入試など、勉強だけではかればいいのです。上位校があって、下位校があって当然じゃないですか。でも、勉強が出来ない学校でも、勉強以外に頑張ってやれることがある環境を子どもに与えてあげればいいじゃないですか。勉強が出来なくても、他に頑張れることがあればいいんです。

 だから、入試では余計なことをする必要はないのです。むしろ、それが入試の透明性を欠くことになり、何を基準に合格させているのかも分からないし、何をやっていたら有利か…などということばかりが先にたちます。入試のためにボランティアに出かけるなどという子も多く見かけますが、入試に有利だからボランティアをするというのは、どうも本来の趣旨から欠けますよね。こういうことになるのです。勉強は勉強で、シンプルに頑張らせればいいだけなのですが…

 今のように、内申とテスト点を各学校で傾斜配点したり、面接をやってみたりやらなかったり、特別選考をしたり、しなかったり… もう、とにかく分かりにくいし、面倒くさい。学力検査の無い学校や作文・小論文をやる学校、やらない学校、自己PRカードを事前に出す学校、事後に出す学校…

 余計なことをしたばかりに、もう都立高校入試は収拾がつかない状態になっています。世は学力回帰の傾向だとか。ならば、入試をシンプルにしていく努力をしてほしいなぁと思います。