以前ほどではありませんが、こどもの教育を語る際に、「個性」という言葉をキーワードにする方は多いものです。

 「個性を引き出してあげたい」ということをおっしゃる方もいますが、残念ながら「個性」というものは「引き出す」ことが出来ません。重要な概念ですから、よく覚えておいてほしいと思います。

 「個性」は、「見抜いていあげる」ことしか出来ないのです。そもそも「個性」というものは、元々持ち合わせたものではなく、様々な活動と知識の蓄積の上に表れてくるものです。だから、引き出してやろうとして引き出せるものではなく、自然に表れてきたものを見抜いてあげるしかないのです。

 その「個性」を見抜くには、何をしたらよいのか。

 それにはまず、「型を押し付けること」が重要です。個性的な人間になろうとしてなれる人間はいません。個性的な人は、自然と個性的なのです。それが分かるには、まず人と同じことをすることです。これには2つの理由があります。1つは、個性的であるがゆえに普通のことが出来ないというのでは困るからです。普通のことが出来ることに加え、個性的なものがプラスされていなければいけません。もう1つは、既存のものに反抗することで個性というものが浮き彫りにされてくるものだからです。

 古い喩ですが、尾崎豊は皆が何の疑問も持たずに従っている学校システムの内部から、「この支配からの卒業」と歌いました。しかし、彼はもともと反抗者でもなく、アウトローでもありませんでした。彼は青山学院高等部の出身です。私の友人の同窓生でした。

 デーモン小暮も、タモリも、サンプラザ中野も、小島よしおだって、箕輪はるか(ハリセンボン)や高木晋哉(ジョイマン)だって、上田晋也(くりーむしちゅー)だって、ラサールだって、石井綿矢りさ(作家)、広末涼子(女優)だって、みーんな早稲田なんですね。その上で個性的であるのです。

 私もそうでしたが、音楽を志す者は、音楽の専門学校なんて行ってはいけないのは周知の事実。大学の軽音楽部など、普通の人がきちんと勉強し、知恵を得た上で個性を磨く場に行かねば、クリエイティヴな仕事は出来ないと思います。私の芸能人の友人某Oクンも、我が大学の同期。軽音楽部で同じ釜の飯を食った仲です。

 人と違ったことをすれば個性的なわけではありません。普通の人が出来ることは出来、やるべきことが出来て、その上での個性。また、普通のことをこなしていくうちに疑問を持ち、人と違うことをやってみたくなったり、興味のある分野が出てきて夢中になる、それが「個性」というものです。ですから、個性的にしたいなら、まずしっかり勉強をさせることが何より大事なのだと思います。