塾は「受験屋」だと言う方がいます。受からせてナンボだと。確かにそうです。受験を考えて塾に通う場合(大抵はそうでしょうが)、投資に対する見返りとしての「結果」は当然求められます。ですから、ある意味間違ってはいません。

 しかし、勉強には本来、「入学試験にパスする」という目的・機能が備わっているわけではありません。進学する学校を選択する際、その道具としての機能が副次的に付け加えられるだけで、それはあくまで一過性のものです。裏返せば、受験が終わってしまうと、勉強というものから「受験に使う」「進学に有利」「入試をパスする」という機能が外されてしまいます。そもそも、受験というものはそういうものです。

 ですから、勉強を「受験のためにするものだ」と定義づけている人は、受験が終わったと同時に「勉強する意義」を失うことになります。世に、「燃え尽き症候群」などと言われる子がいますが、これが正に「いい中学に入るために」「いい大学に入るために」勉強をしてきたタイプ。いくら勉強が出来ても、これでは人生において絶対に成功出来ません。知らないことを知る、分からないことが分かるようになる、出来ないことが出来るようになる… 本来「学び」の本質はそこにあるはずです。ゆえに、「学び」自体に興味を持たせる教育を子どもに施していかないと、単に試験にスルーすればいいのだという考えの子どもが出来上がってしまいます。

 長年、塾の現場で様々なタイプの子を見てきて思うことは、そもそも勉強が出来る・出来ないという差は、「勉強というものがどういうものなのだということを子どもに定義づけてあげられているか否か」ではないかと感じることが多々あります。学ぶことはステキなことで、知らないことが分かるようになると楽しくて、またそれが自分の将来だけではなく、自分の大切な人やこの国を守っていく大きな力になっていくのだということをちゃんと分からせていると、意外に子どもの心の中には響いていて、「学び」から逃避したり疎かにしたりはしないように思います。もし、なかなか子どもが勉強しない…と感じたら、勉強する意味を、目先のメリットではなく、大義名分的な意味を教えてあげることが第一歩でしょう。

 また、テストや宿題の「すり抜け方」を勉強だと勘違いさせるのは、決してやってはいけないことです。例えば、四字熟語の穴埋め問題を覚えてくるよう指示を出したりすると、その穴の部分に入る漢字だけをひたすら覚えて来る子がいます。四字熟語の意味も理解していませんし、そもそも四字のワンセットで覚えてもいないということがあります。これこそまさに「テストをクリアするためだけの勉強」だということになりますが、こういう勉強を繰り返していても成長はありません。意味も分からず、とりあえず目の前のテストをクリアするだけのための虚しい「暗記」。これは全く「無意味」な学習です。

 「学び」というのは、何も机に向かってするものだけではありません。よく小学生に「かまぼこは何で出来ているか」と聞くとおかしな答えが返ってきます。「魚だよ」と教えると、板についたまま海中を泳いでいると本気で思った子もいます。「さつま揚げ」を知らない子、チーズ・バターの原料が牛乳であることを知らない子も結構います。是非お子さんに確認してみてください。こういうことを知らない子に「方程式を解けるようになれ」「英語をスラスラ理解しろ」と言うことに違和感を感じる健全さは欲しいものです。出来る子は、まずこういう当たり前のことをきちんと知っています。

 「へぇ、そうなんだ」と理解し、「覚えとこっ!」と記憶に残す、それが「学習」の基本であると思います。最初から「進学の基準」「道具」として扱っているわけではなく、あくまで副次的な機能が発生してきたのですから、「勉強しないと進学できないよ」的な発言は意味をなさないのです。まず、お子さんを連れてスーパーへ行きましょう。魚の違いあたりから学ばせ、「へぇ」と言わせることがベースのように感じます。