先月号の通信、算数問題コーナーに出した「フィボナッチ数列」を、小6受験生の「演習」授業で扱いました。単純に数列の仕組みを教えて、問題を与え解答させるのでは面白くもなんともありませんので、自然界に存在するフィボナッチ数列をいくつか例にとって、実はこんな仕組みになっているんだよ?とお話しすると、子どもたちは夢中になって食いついて行きます。授業中に、「ホントだー!」「おもしれー!」なんて言葉が出ると、こちらも、「ふっふっふ、どや!」と達成感がありますね(笑) 

個別指導塾を運営しながら言うのもおかしな話ですが、私はやはり元々グループ指導塾の出身。4名程度の小規模から40名ほどの大教室まで授業をしてきましたが、塾講師としての力量はあくまでグループ指導・黒板指導の力であると思っています。グループ授業が出来る講師は力のある講師です。そして、面白い授業が出来るかというのも大切なこと。面白いとは笑わせることだけではなく、知的興味を持たせることです。生徒に授業内容で、「おもしろーい!」と言わせられるかということです。

算数が好きではない子からすれば、フィボナッチ数列など面白くも何ともないでしょう。しかし、話の持っていき方で興味を持ったり、面白いと感じたりするのが子どもというものです。

つまり、子どもが持つ「興味」というものは「無限」なのです。だって、知らないことを知るのですから、面白くないはずがありませんし、私たちだって知らないことは少しでも知りたいという欲求があります。おそらく人間であれば勉強内容にかかわらず、知らないことを知りたいというのが当然の欲求だと思います。まして、知らないことが多く、無邪気な子どもであれば尚更です。

ゆえに、子どもが勉強や新しい知識に対して興味を持たないようであれば、それは子どもが悪いのではなく、明らかに大人の責任です。子どもの素質が悪いのではなく、関わる大人が子どもに興味深く知識を与えていなかったり、面白く語りかけていなかったりするのです。

以前、あるテレビ番組に全国の教員が出演していて、子どもについて語っていたところ、一人の教諭が、「確かに誰も勉強なんてしたくないけれど…」という枕詞を多用していたところ、共演していたラサール石井氏が激怒しました。私も見ていて腹が立ったのを覚えています。子どもを教える立場の人間が、「学び」を「誰もやりたくないこと」という前提で話しているのがどうしても我慢ならなかったのです。勉強は、面白いに決まってるじゃないですか!(笑) 知らないことを知るんですから、面白くて仕方のないことのはずです。幼い子どもは、「どうして?」「何?」ばかりじゃないですか、ねぇ? いつから勉強はつまらなくて、単なる苦行になったのでしょうか。

そこには必ず、勉強をつまらないものだと教えた大人がるのです。苦行にした大人がいるんです。こういう前提で勉強をさせている子は、決して勉強が出来るようにはなりませんし、そもそも苦行なのですから逃避するに決まっています。

学力の高い子どもの家庭環境を見てみると、必ず「勉強するのは当たり前のこと(偉くも何ともない)」「勉強するのは楽しいに決まってる」という大前提があります。誰もが嫌だけれどやっているのだから、あなたも苦しみなさい…という教育は決して成功しません。

もちろん、これはやるべきことや言われたタスクをコンプリートするという、「当たり前のこと」が出来た上での話です。スポーツにおいて基礎体力があった上での技術であるのと同じことで、基礎基本が無い子は何をやらせても成功など出来ません。宿題もやらずに何が「興味」だと叱る子もいます。

しかし、子どもが元々そういう性格を持っていたわけではなく、学習に関することは全て後天的なものであるという前提に立って、子は大人の鑑と考えるところに実は突破口があるのではないかと思うのです。子どもには是非、面白いことをたくさん教えたいと思います。