今の子を見ていて、非常に感じることの一つは、「異質なものに対する異常なまでの弱さ」です。

 たとえば、自分と性格が合わない子を、とにかく徹底的に糾弾する傾向があります。
 「あいつはおかしい」
 「あいつは変だ」
 「普通じゃない」
 とにかく、自分が普通で、異質な子がおかしいという発想です。どうも、「どちらが正しい」という価値基準で物事を図ることしか教わっていない気がします。これだけグローバル化だの、価値観の多様化だのと言われている世の中で、結局単一の価値観しか認めない「ムラ社会」が成立しているところが何とも皮肉です。

 で、異質なものに直面すると、こういう子は徹底排除の方向に出るか、呆然として、ただ泣き、自分の救済を求めるかのどちらかの傾向にあります。

 しかし、世の中は「異質なものの集団」ですから、あまりに子供時代に同質なものの中で安住させると、社会に出てから本当に困ります。就職してからすぐ引きこもりになってしまう人などは、こういう「同質」の中でしか生きていなかった可能性が高いものです。つまり、異質なものに対する耐性が低かったり、異質なものが存在することを認められなかったりすることが多々あります。

 先生の好き嫌いを訴える生徒もいます。
 「2年生の時の先生が嫌いで、理科がダメになりました」
 「小学校の時の先生が体育会系の先生だったので嫌いでした」

 先生のせいである教科が嫌いになってしまうケースなどは多々ありますが、これもよくひも解いてみると、今まで自分が体験したことがないようなタイプの先生だったり、ハッキリ物事を言う先生だったとか、とにかくその子にとって「異質」であったことは間違いありません。そして、その異質なものを受け入れることが出来なかった、またはその異質なものに気を取られてしまって、他のことに集中出来なかったというのが多いものです。

 対処療法として、その原因を取り除くことは出来るかもしれませんが、必ずその先で同じ問題が勃発します。根本的に、その子が「どんなシチュエーションでも力強く生きていける子」に育たないと、根本的な問題が解決しません。

 もう何年も前の生徒ですが、ある先生が気に入って桜学舎に通っていましたが、ちょっとしたきっかけでその先生と合わなくなりました。先生を交代してほしいと言われ、本来桜学舎ではそのようなご希望は聞いていないのですが、配慮して差し上げました。

 すると、間もなく、「この先生もダメだ」と言い出しました。
 「やっぱりね…」
 何度か先生の交代を経て、「塾長に見てほしい」と言い出し、しばらく私が見ました。しかし、その子のダメなところ、直さねばいけないところをバシっと指摘すると、またまた「交代してほしい」と言い出しました(笑) この塾で、塾長の授業をチェンジして欲しいというのはどういう意味かお分かり頂けていないようでしたが、何とも苦笑するしかありませんでしたね。結局、桜学舎内でも担当を受け入れる講師がいなくなり、残念ながら事情をお話してお辞め頂きました。
 もうかなり前の話ですが…(笑)

 これも、自分にとって都合の悪いこと、耳障りなこと、嫌なことを指摘されるようなこと、つまり「異質」なものを徹底排除(もしくは逃避)することしか出来ない子だったのではないかなと思います。実は、こういうところを直すと、ほとんどの問題が解決するんですが、なかなか気づいてもらえないケースは多くありますし、なかなか指摘するのも難しいこともあります。

 異質なものは、「異質なもの」として存在している。それをまず受け入れること。これが「大人になる」ということなのだと思います。これを認められない子は、いじめの加害者にもなりがちです。異質なものとどう付き合うかが、正しい生き方の上では結構大事なことだと思います。

 自分にとって都合のいい、あたりのいい、そんなものの中でばかり生きていてはいけないなと感じます。私も、そろそろ厳しいことを言っていただく方が欲しくなってきましたので、いろいろな方にお話を聞くようにしています。異質なものを受け入れる、異質なものの中で上手に生きる。

 かなり大切なテーマかも知れませんね。