田山花袋の布団という作品があります。
ラストシーンが何とも切なく、心を揺さぶる作品なのですが、あの空虚感・虚無感を久々に感じました。違うのは、相手がうら若き女性ではなくワンコロだということ、恋心ではなく、家族の情にも似た心情だったことです。

数日前に予兆はありました。
玄関先にふくが粗相をした晩、妻は彼に
「あんたはもう山へ帰んな」
と涙を流しまし
た。
限界が来ていたのだと思いますが、不思議なことに翌日突然義父から電話があり、
「明日の昼ごろには迎えに行けるから」とのこと。
...

「お父さん迎えに来るってよ」
という言葉を聞いたふくは狂喜乱舞。その晩、彼は私たちのベッドの足元に来ず、リビングのソファで大の字になって寝ていました。よほど安心したのでしょう。家に帰れる、お父さんが迎えに来てくれる… そう思ったのでしょうね。

義父が迎えに来る日、私はお世話になった方のご尊父様の告別式で平和島へ。
ふくとは玄関先でお別れをしました。いつもなら全然吠えないの
に、その日はかなり吠えました。これでお別れだと分かっているのでしょう。
家の前の神社
で、ふくに幸あれとお参りをしたのちも、8階から吠える声が続いていました。「鳴いてるね」と妻に電話をしたほどです(笑)

そして、午後。
一時帰宅。
彼は帰っていました。
妻は出かけて行ったので、誰もいない自宅に戻りまし
た。
大きなケージ。小さなケージ。リードに、お散歩バッグ。エサ、ボール、彼のタオル、服… みな、当然だが持ち帰ったようです。鍵が開く音に反応し、私の姿を見て飛びついてくるヤツはもういませんでした。何だか、ポカンと穴が開いた感じ。20日前の日常が帰ってきただけなのだけれど、この静けさがとても寂しい…

その後出勤。仕事場で妻と合流。
その晩は、俺たち頑張ったよな…と、久々に焼肉。20日ぶりの外食。二人で久々に顔を合わせた気がします。
そして深夜の帰宅。
玄関を入ったところで、妻が泣き出しました。
「ふくがいない…」と。

ふくがいることで、妻とはいろんなことを話しました。
ふたりでいたら決して話さない内容です。
小さなもの、命あるものを「育てる」という経験を久々にしたので、センシティヴになっているだけなのでしょうが、やはり帰ってからも話題はふくの話でした。

「ふたりがいかに気楽かが分かった」
と妻。
「ふたりがいかに寂しいかもわかった」
とも。
確かにね。今まで二人とも感じたことのなかった感情かも知れません

たった20日、しかもワンコを預かっただけでこれだけの気持ちになるのだから、突然子どもを失った親の気持ちはいかばかりか…と、しみじみと思います。横田夫妻の気持ちなど計り知れないのだろうと痛感しました。

だからと言って、子どもを作ろうという話にはなりません。
だからと言って、ワンコを飼おうという話にもなりません。
まず、自分たちの生活をもう一度落ち着かせることが先なのですが、とてもとてもいい経験をしましたし、勉強にもなりました。そして何より、以前より格段に「優しく」なれた気がします。小さな命をいつくしむ気持ちがより一層強くなった気がします。子どもを扱う我々には、とても重要な気持ちだと思います。

しばらくは気持ちに穴が開いた感じになるかも知れませんが、目の前にはやるべきことが山積。
我が塾の小さな子どもたちへ、その慈しみの気持ちを転じていこうと思います

タイトルは、有島武郎でしたね(笑)