Facebookである女性の記事がシェアされていました。
 簡単にまとめると、「何も考えずに日々食べたものの写真をUPしている人は、飢餓に苦しんだり、助けを求めてFBをやっている人のことを考えた事があるか? 毎日美味いものを食べたとUPして世界が幸せになるのか?」ということでした。まぁ、かなりザックリまとめましたが、ご本人が言いたかったのはこういうことでしょうね。

 いろいろな意見、というか、炎上?(笑) していたのはもちろんなので、どうやら世間の皆様は「常識的」な感覚で対処されていたのだとは思いますが、どうも私はこの手の「純粋真直ぐクン」が苦手でなりません。

 考え方の偏り、というか、自分を正しいと信じて疑わないバランス感覚の悪さ、A面があれば必ずB面があるということを前提に話をしない横暴さ、まぁ、図々しさと言い換えてもいいかもしれません。こういう部分がどうも苦手なのです。他者意識の低さも非常に気になります。

 確かに、アフリカの飢餓に苦しむ国の人が、日本人の毎日の食事を写真で見たら、「本当なのか? こんなに食えているのか?」と驚くかもしれません。悲しんだり、恨んだり、憎んだりするのかもしれませんね。これはA面。
 しかし、この時点で、このアフリカ人は、FBを使っていたからこそ、また記事を読んだからこそ、日本ではこれほど豊かな食事が出来ていると知ることが出来たわけですね。世界を知る、違いを知る、それが出来たのはFBのおかげなのでしょう。彼女は、彼らに気を使って日本人皆が、「ボクたちもいつも腹を空かせているよ」と嘘を書けば満足なのでしょうか? もちろん答えはNOでしょう。これが裏返しのB面です。

 きっと善意からこういうことを言い出したのでしょうが、善意の塊であるがゆえに質が悪いというのが事の本質。

 自分の善意を、善意だと思わない人がいるという前提でものを言うべきでしょう。自分が正しいと思うことは、実は客観的に見たら正しくないかも知れない…という前提で行動しなければ、必ず過ちます。ゆえに、こういう一つの価値観的なものは、「ボクはこう思う」というところまでしか主張してはいけないのでしょうし、違う価値観を持つ人がいることを前提にするべきなのでしょう。

 皆が平等であったり、地球市民だなどという幻想(あえて幻想と言ってしまいますが)は、私は苦手です。ゆえに、そういう方は残念ですがお付き合いは出来ません。ごめんなさいね、他所へお願いします(笑) 私は、「人間は不平等だ」と思っていますし、「人間は差を求める動物だ」と思っています。豊かな国があれば、必ず裏には貧しい国の存在もあります。自分が楽しければ、誰かが楽しくないと思っているでしょう。自分が幸せなら、それを面白くないと思っている人間もどこかにいるのかもしれません。AがあればBがあり、表があれば裏がある。

 人間とはそういうものです。
 そう思わない図々しさは、私にはありません。
 貧富の差だって弥生時代から存在するのですよね。

 日本の豊かさを知り、日本のようになりたいと頑張るアフリカ人がいるかもしれませんよね。ありのままの姿を隠したり、嘘を言ったりする事は出来ません。豊かなのは私達が悪いわけではありません。有難いことで、幸せなことだとは思いますが、偽りの情報を世界に流すことの方が大罪でしょう。

 飢餓に苦しむ人たちのために、美味いモノ写真は載せない様にしよう。
 不妊で苦しむ人たちのために、子どもの写真は載せないようにしよう。
 結婚出来ない人たちのために、結婚式や幸せな家庭の写真は載せない様にしよう。
 就職できない人たちのために、仕事の話は一切書かない様にしよう。
 
 こんなSNS、何が面白いんですかね?(笑)
 価値観は人それぞれ。それぞれだから存在価値もあり、取捨選択の力も求められます。
 常に真逆のものの存在を意識する「バランス感覚」は、人間としてある意味、最も重要なことではないかと思います。子ども達はどう反応するでしょうかね。作文でもやらせてみると面白い気がします。