友達。
 正直、自分に「友達」なんて呼べる人間がいるのだろうか… そんな風に卑下して考えてしまうこともある、結構センシティヴなワード「友達」。こっちが友達だと思っていても、向こうは思ってないんじゃないだろうか、そんな不安に陥ることもありますし、逆にこちらがさほどでもないと思っていた人に、「親友」だなんて紹介されて、少々びっくりしたこともあります。友達か… 友達って、何だろう?

 私は、正直、友達付き合いが上手ではありません。幸いなことに、よい人達に恵まれているので、お声をかけて頂けることも多く、また声をかけると付き合って下さる方も多いので、付き合いが良いのではなく、「恵まれている」のだと思います。付き合いは「下手」。
 千葉から東京に来て、千葉時代の友人とは随分とご無沙汰してしまっていますし、高校時代の友人とも久しく会えていませんし、大学時代の友人としょっちゅうつるんで遊んでいる訳でもありません。仕事が仕事なので、時間帯もなかなか合わないですし、仕事ばっかりしていますし… 

 でも、友達というのは、「しばらく会わなくても、すぐに昨日まで遊んでいたように付き合いが戻る人間関係」だと思っています。久々に会って、話が始まればすぐに昔の感じに戻る。そういうものでしょう。そう思ってるのは私だけかな?(笑) まぁ、「そうあるべき」くらいにとどめておきましょうか。

 でも、そういう人間関係って素晴らしいと思うし、そこにはスケールの大きい「情」が存在すると思うのです。誤解を恐れずに言えば、「愛」ですね。その「愛」に自信があれば、いつもいつもその愛を確かめる必要はありません。愛を与えていることに「自信」があれば、愛を確かめてもらう必要もないのです。愛って、相手を「信じる」ことでもありますし、愛は与えるものであるがゆえに、見返りを求めるものでもないでしょう。つまり、自分が相手を「愛している」ことに自信があれば、別に長いことはなれていようが、別の場所に住んでいようが、あまり関係ないわけです。まぁ、私の思考回路はそう出来ています。そりゃ人と会わないと寂しいですけどね。

 むしろ、ずっとこっちを見ている友人ってのも困りもの。何だか視線を逸らせないですよね。お互いに尊重しあい、尊敬しあっていられる関係、それが「友達」だと思うのです。

 で、これは全ての「愛と友情」に共通するのではないかと思うのです。
 恋愛でも、ずっとこっちばかり見ている恋人は正直ウザったいわけで、長続きしない恋愛の典型ですね。超ラブラブカップルはすぐに別れるものです。束縛する関係も短命に終わります。あたりまえです。一人の人間としての生活があったうえでの恋愛ですから。高校生カップルなんかを見ていて思うことです。

 受験生と親との関係も同じです。
 親にずっと監視されていたら、子どもは疲弊します。ましてや小学校高学年から高校生あたりというのは一番親との関係が上手くない時期。監視なんてしてみようものなら、大戦争が起きるのは必定。私たちはパレスチナ問題の解決と同程度の極めて難しい和平交渉に乗り出さねばならないくらいです(笑)
 いいんです。親はしっかり子を愛し、自信を持っていれば。親も子も、それぞれ独立した人格があった上での「受験」ですから、相手をどうしてやろう、こうしてやろうは、基本的に無益な争いを生みます。
 子どもだって、親からちゃんと愛されていたら、ちゃんと分かっています。愛されてなかったら、それもちゃんと感じ取っています。その逆もしかり。分かっているんです。

 愛は、確かめちゃいけません。確かめるような真似をしちゃいけないのです。だから、確認し合わなくても「わかっていなさい」というものです。

 言葉でなくても、態度でなくても、ましてや物や数字でなくても、人の愛を感じ取れる人間に、そしてまた、人を愛することを忘れない人間になりたいものです。そしてそういう人間を育てたいものだと、心から思います。私もまだまだ途上の人間。まだまだ修行が足りません。もっと人に愛を届けるにはどうしたらよいか… 永遠のテーマでもあります。