皆さんは、「○○観」と言われて、○の中に何を入れるでしょうか。「価値観」「人生観」「職業観」「恋愛観」などなど、様々な言葉が入ってくると思います。

辞書的には、「物の見方・考え方」という意味ですが、最近この「○○観」を持たずに物事を行っている「思考停止」の人間が多いなぁと感じることが多々あります。特に感じるのは、近年の大学生などの就職活動に見る「職業観」においてです。今や大学生対象の「就活塾」「就活セミナー」は大盛況。就職活動のやり方から自己アピールの仕方、はたまた「自分とは何か」を発見するテストなどなど… まぁ、野良犬のように生きてきた私などからすれば、「そんなことも自分でできないのか…」と思うようなことも多々あります。

で、その様な場所に足しげく通っている学生に、一体どんな職業観があるのか、どんな未来を思い描いているのかと尋ねると、実に曖昧。いや、曖昧でもあればよい方で、「就職できなければ人間失格」などという烙印を押されることを恐れての必死の就職活動だったりします。結構上位大学の学生でもこんな考えの人はいるものです。

これは、受験勝者から成長できなった子なんだろうと思います。何を学び、自分にどんなことが身についたのか、どんな知的好奇心を養い、どれほど自分が成長したのか、それが「学びの意味」であるはずです。ところが、受験屋自らが言うのもおかしな話ですが、「どこの学校に入れば勝者」「偏差値がいくつあればエライ」というおかしな、偏った「価値観」だけで学習をとらえてくると、今度は就職においても、「一流企業に入れば人生勝ち組」「有名企業じゃなきゃ就職する意味が無い」などという、滑稽ともいえるほどの「権威主義」だけが残り、ちょっとでも道をそれた場合、もう自ら命でも絶ちそうなほどの落ち込み様、長いこと部屋から出てこれない…なんてケースもあったりするのです。

こういうのはもう、「就職」ではなく、「就社」が最優先になっているのですね。でも、正直、学歴競争は一応大学で終了。その先は自分の力と視野の広さ、そしてどんな職業であれ自立してきちんと物事を考え、実行していける力を持っていれば、またそれまでの「学歴」とは異なった世界が見えてきます。

確かに、少しでもいい学校へ進学してほしいと、私も生徒には言い続けています。しかし、その「価値観」は、通常の塾の考え方とは異なります。

自分が憧れたり、いいなと思った学校というのが、その子本人が進学すべき学校なのだと思います。こういうものはほぼ直感で分かります。その人間のレベルというか、感じる雰囲気というか、とにかくそういうものを最も重要視すべきで、自分の「レベル」と学校の「レベル」が一致したからこそ、「是非行きたい」と感じるものです。ただし、その学校が求める学力と、その子の学力が一致するケースが非常に少ないのです。大抵は生徒の学力が足りないものです。ですから結果的に「もっと勉強して上の学校へ…」となるのです。ただそれだけ。

上の学校へ行けば、自分の理想とする、また尊敬できる「仲間」がいます。仲間に刺激され、自分も成長する。これを私は「環境」と呼んでいます。だから「よりよい環境を求めて」進学してほしいと、努力してほしいと、そう思っています。

こういう、「学力観」「進学観」ひいては「人生観」を、是非親御さんからお子さんへ伝えて頂きたいなぁと思うのです。

今、振り返ってみれば、私はこういう「○○観」なるものを、ほとんど母に教えられてきたように思います。ですから、私の「教育観」「人間観」も母譲りでしょう。私が人間関係で悩んだ時も、「人間っちゃぁ、そういうもんじゃない」とか、「こういう時はこうしとくもんだ」ということを、随分と教わりました。そして、結果としてその通りにしておいて良かったということが多々あります。もちろんその当時は「うるせーなー」とは思いましたが、でも、母が80歳を超えた今、あらためて感謝の思いが強くあります。

受験でも、就職でも、様々な場面で子どもは悩みます。同列で言い争うのではなく、人生の先輩として少々達観して、お子さんを優しく、穏やかに諭してあげて下さい。

子は親の鑑です。