「塾」と名乗ると、どうも「入試合格請負屋」的な、まぁなんと言うか「便利屋」的に見られることがあります。大手塾や予備校のイメージ、それも20年〜30年前のイメージの「テクニック伝授」のイメージから、要は「必要悪」のように思われているところがあって、「一歩間違えれば害になる」くらいのことを思っている保護者も多いものです(笑)

 かつても、入塾面談にいらした方に、いかに塾に行かせたくないかを力説されて困ったり(笑)、塾の詰め込み教育の弊害を力説されたり… 桜学舎の方針を全くご理解頂いてないのだなぁと思いました。まぁ当然のごとくそういう方は、こちらが何も言うまでもなく、嵐のごとく去って行かれるのですが(笑)、桜学舎はそういう指導方針に対するアンチテーゼが原点となっている塾。詰め込み学習とか、時間に追われて反射神経だけで解答する学習とか、そういう「不毛」な学習をさせたくない方に選択して頂いているというポジショニングで成り立っています。

 あるお母さんに、その昔、ウチは「教育」をしますと言ったら、不思議な顔をされたことがあるのですが、その後「そういうことだったのか…」とご理解頂いたことがあります。まぁ、世間ではやはりまだまだ塾が「教育」を考えているとは思われていないのでしょう。

 さて、今日の本題はここではありません。もっと大人になってからの話。

 「勉強をしたくないから就職する」という高校生は、一昔前なら結構いたはずです。今は大学全入時代ですが、大学に入っても、卒業しても、もう勉強したくないと言う人間は結構な確率でいます。
 しかし、昔から言われることですが、「人生は一生勉強」 これが現代社会では益々現実問題としてクローズアップされています。

 社内公用語が英語で、TOEIC600点以上取得しないと給与が上がらない…なんて企業が結構出てきました。検定資格はもちろんのこと、社内での職業訓練、社外での職業訓練も今は盛んに行われています。優秀な企業は、人件費と同額の研修費を使っているとも聞きます。

 社内での研修をOJTというのに対して、社外研修をOFF JTと言うのだそうです。他社に負けじ劣らじ、桜学舎も研修は多いものです。主に組合でのOFF JTがありますが、その他OJTもかなりあります。ある意味、塾の先生は「専門職」ですから、修行せねばならないことは多々あります。

 社会人の「社員研修」というのはどこでも大きな問題の一つなのだと思いますが、経営者の方々とお話をさせて頂く際によくお聞きするのは、

「報告は立派なんだけどさー…」

というお話。ああ… と身につまされるというか、思い当たることがあるというか(笑)
そうなんですね。

 まぁ、会社からすれば、わざわざお金を払って教育してもらいに出しているわけですから、もちろん費用面から、効果も期待してはいますが、それ以上に「仕事に対する取り組み方の変化」「業務改善」「作業の効率化」「社会人・企業人としての自覚の向上」を期待しているのでしょう。しかし多くの場合、「報告書をクオリティ高く作成し、社内評価を上げる」「上手にまとめてツッコミが入らないように」ということで、「出世への点数を稼ぎ」が目的になってしまっているというのです。

 つまり、研修に出て、報告を上げるのが仕事になってしまっている社員は意外に多いものだという話。本当に良く聞きます。これって何だろうなぁ?と思うのですが、そこは「教育」を仕事としている我々は、ちょっと肩身が狭く感じる瞬間です。

 ただ、近年の「大学進学のための勉強」というのは、結構影響があるのかなぁと、現場では感じることがあります。
 近頃の子は、即物的というか、実利的というか、とにかく目的の学校に入るための勉強を無駄なくやりたいと思う子が多くいます。勉強の中身は、半分どうでもよくて、とにかく「早稲田に入れればいい」くらいの学習動機で勉強している子が結構いるんですね。でも、中身に興味がなければ学習は加速度的に進まないので、結果的には成功しないのがほとんどなのですが、これ、かなりの確率で予備校、いや、学校でも、こういう考え方を習ってくるんですね。ウチの生徒たちに「誰にそんなこと習ったんだ!」なんて聞くと、大抵そういう答えが返ってきます。

 こういう子が大学に入ると、例えば授業のレポートやゼミの研究発表等も、学習・研究内容は二の次で、上手にプレゼンしたり発表したりして、いい単位を取得すること事態が目的になっていることがかなり多いようです。

 もちろん、技術的に上手に発表出来ればそれにこしたことはありませんが、それ自体が目的ではないはずです。簡単に言えば、その研究成果、学習成果が重要なことで、先生にいい評価を貰うことが目的であるとすれば、事の本質を完全に見失っているとさえ言えます。

 しかし、ここで成功体験を積むと、これが正しいやり方がと思ってしまうでしょうね。つまりは、こういう人がそのまま社会人になってからも、上手なレポートを書く事が目的で研修を受け、社内評価を上げようとしたりするのかもしれないなぁ…と思ってしまいました。
 
 近年の「特進コース」「選抜クラス」で有名大学に入れます… 的な学校改革から、さらに新しい未来志向型の「国際バカロレア」などを導入した新型の学校が現れ始めています。ここしばらく掲載した、「開智日本橋学園」なども、今までの概念とはちょっと違った教育を施すようです。

 学習というのは、算国理社・英数国理社の中身ももちろん重要ですが、その取り組み方や目的などがとても重要です。さらに、受験勉強は、自分で自分の能力と真摯に向き合い、現実問題を克服していくという教育的側面が非常に高いと思います。でも、そこを重視している人も、学校も意外に少ないものです。

 だんだん、社会にも「ゆとりちゃん」「大人こども」と揶揄されるような若者も増えてきました。ただ、そんな人を非難していても何も始まらないのですが、社会で「使える人材」となるには、この若い頃の「学習に対する考え方」「本質を理解する事」がとても重要なんだなぁと感じます。 

「学んだことを明日から現場に生かしていきたいと思います」
「大変勉強になりました。ありがとうございました。」
「私も頑張ろうと思いました。」
そんなカッコイイことは言わなくてもいいし、キレイにまとめなくても、「学習した成果があるなぁ」と行動と結果が変わればいいのです。

 時代が変わっても、物事の本質を理解出来る人間が「必要とされる人間」なのでしょうね。受験勉強だって、「大学に入れりゃいい」ってものではありません。資格だって、「持ってりゃいい」ってものでもありませんし、社会人の研修だってその意義を考える必要があるでしょう。上っ面の形骸化した学習でも、それを是とした教育が行われてしまってきたのかなぁ… そんな風に思ってしまうことがあります。

 新しい時代の教育は、原点に立ち返り、「本質」」を求めることなのではないかと、私は思っています。まぁ、私が出来ることなど限界がありますし、世の中の何のお役にも立てないであろう自分が悔しくもあるのですが…(笑)