「先生、○○は難しいですよね?」

「学校の先生に無理だって言われたんで、違う方へ行こうと思うんです」

「うちの学校からは行った人がいないって言うので、諦めます!」

元気にこんな風に言って来る子がいます。最近の子は一体どこで習うのか、保守的というか夢が無いというか、簡単に自分のやりたいこと、夢に描いたことを「諦め」ます。実現できなかったときに傷つかないように、予防線を張るんですね。これが私には何とも情けなく、また薄汚れた感じがして本当に嫌です。ですから、よくこの手の話になると生徒を叱ります。

「簡単に諦めてんじゃねーよ!」

「そんな夢なら最初から口にするんじゃねー!」

桜学舎の中には、大きな夢を持っている子が何人もいます。宇宙開発に携わりたい子、獣医になりたい子、アルツハイマーの研究に携わりたい子などという理科系の子から、政治家になりたい、芸能人になりたい、ひいては東大法学部に行きたいなどなど、「おお、言ってくれるじゃんか!」という子は多々いるものです。

「お前がか?笑わせんな!」

「無理に決まってんだろ?バカじゃねーのか?」

なんて、もしかしたら世間ではそういわれるかも知れません。

でも、桜学舎ではそんなことは決して言いません。確かに今は無理かもしれない。けれども真剣に努力し、前進していけば、いつかは実現可能になるかも知れない、そんな「可能性」を否定することは、「教育」において最悪の指導であるとしか言いようがありません。安易に大人の論理で子どもの未来を潰すような人間が、子どもの前に立ち、何かを教えるなどという立場に立つべきではないと、私は思っています。ですから、否定は決してしません。

しかし、現実を見せることはあります。「今のままでは明らかに無理」だと檄を飛ばすことは多々あります。だからこそ、口先だけの子は徹底的にお説教をします。「だからオマエはダメなんだ」くらいのことは平気で言います。でも、それは真剣に、そして本気で。たかだか十数年しか生きていない子どもですから、可能性なんて無限にあるに決まっているじゃありませんか。ただ、可能性は「努力」によってしか開化しないと思います。可能性を生かすも殺すも、本人次第なんですよね。

未知の世界に尻込みをする子も最近は多く見かけます。知らない世界に飛び込むことに、異常なまでの恐怖心を抱く子が結構いるんです。神経が細い、草食の子が結構いますね。

未知のものに立ち向かうのは、ある種の「勇気」であり、「対応力」が求められます。対応力とは、「自信」がなければ生まれません。知識がある、きっと何とかなる、何とかする自信がある… そうならねば、未知のものが怖くて仕方ないはずです。その「自信」の裏付けになるのは、やはり努力の積み重ねしかありません。やはり、昔から言われる通りなんでしょうね。

でも、よく考えたら、人生なんてどうなるか分かりません。「一寸先は闇」とはよく言ったもので、健康に気を使っていても交通事故で亡くなる方もいれば、大金持ちから一夜にして文無しに転落する方もいたりして、本当に分からないものです。

ですから、何かにビビって躊躇して、何も前に進まなかったり、迷い続けて不毛な時間だけが過ぎて行ったりすることは、短い人生の時間の浪費、しかも「若い」という貴重な時間の浪費でしかありません。早くしないとオッサンになっちゃうよ!(笑)

昔、「SHOGUN」というバンドがいて、「男たちのメロディ」という曲がヒットしましたが、その有名なサビの部分に、「♪運が悪けりゃ死ぬだけさ〜、死ぬだけさ〜」というのがありましたが、まぁそうですよね。だからこそ、全力で生きなきゃもったいないわけです。

誰かに自分の人生を決められるなんて「最悪」です。どんなへたくそな生き方であっても、自分の生き方は自分で決める、それが人間としての最低限の尊厳であると私は思います。そして子どもたちにもそうあって欲しいと願っています。