14 中村中高の校長先生に教えて頂いたこの本。最近話題の、まぁ何というか「絵本」ですね。面白そうだと思ったのは、日本語を母国語としない作者が描いた、日本語の文字の物語であるという点です。つまり、日本人だとあまり発想しないような視点から言葉をとらえているのかな?と興味を持ちました。

 取り寄せて読んでみたのですが、正直、これは「絵本」として子供に読ませるには少々難しいかな?といった印象です。かといって、高校生・大学生には幼すぎる、実は現代の中学生くらいが、言語というものをどうとらえるかを考えさせられる寓話…というくらいにとらえたほうがいいかもしれません。

 物語は、ひらがなの小さい「つ」が、他のひらがな達から、発音も出来ないし、一人前のひらがなとは認められないと笑われ、バカにされたことから、五十音村から「家出」をしてしまうというものです。すると世の中から小さい「つ」が消えてしまい、人間社会で大混乱が起きるのです。

 なるほどと思ったのは、小さい「つ」が消えてしまうと全然意味が変わってしまう言葉が結構あるのですね。作者はあとがきでこの例を探すのにかなり手間取った告白していますが、それでもなかなか秀逸なものがあって、思わず噴き出してしまうものも。

「どうしますか、訴えますか? それとも訴えませんか? あなたからOKがあれば訴えますよ」

という弁護士のセリフから小さい「つ」を取ると、

 「どうしますか、歌えますか? 歌えませんか? あなたカラオケがあれば歌えますよ」

となります。なるほどなぁ(笑)

 これを読んで、やっぱり今の子どもたちのボキャブラリーは乏しいなぁ…と感じました。果たしてこのような言葉遊びを今の子どもたちは「面白い」と感じるのかなぁ?とも。

 小学生たちの会話をよく聴いていると、「センセ―、やばーい!」というセリフにも、「先生、宿題を忘れてしまったから、大変窮地に陥っております」という意味と、「先生、今日セブンイレブンで買った濃厚プリンが超美味しい!」という意味と、「先生、友達が目の前ですっ転んでカバンの中身が全部出たのが面白すぎた」という意味、「先生、塾の前に自転車が停められません」という意味、いろんな意味で「センセ―、やばーい!」を使っています。「やばい」ってそんなに多義語だったか?と突っ込みたいところもありますが、もうそれを言っても仕方ないでしょうね。

 そもそも、言葉は生き物で、実は「正しい日本語などというものは存在しない」「時代時代で言葉は変わっていくのが普通なのだから、とりたてて若者用語を悪者に仕立て上げる必要はない」という学者さんもいます。確かに平安時代の「大和言葉」から、鎌倉時代に入って漢語が輸入され混在する言葉に変わり、現代では柔軟に外国語を取り入れながら運用されているのが日本語です。驚くべきは、江戸期まで「こおろぎ」は現在の「きりぎりす」、「きりぎりす」は現在の「こおろぎ」でしたが、明治期にこれが逆になり、現在に至っています。間違いが原因のこの言葉の運用も、現代では常識となってしまうほど日本語は「寛容」に出来ています。若い子たちが使っている言葉が将来「正しい日本語」になる可能性もあるのですから、何が正しいのかを判断するのはなかなか難しいものです。

 ただ、言葉遊びの中で、言語感覚をつかんでいくことは重要ですし、言葉のしくみや、意義、面白さ、そして限界を理解していくこともこれまた重要なことです。子どもたちにはよく話すことですが、ホワイトボードの白、壁紙の白、机の白、ノートの白は、全部「白」ですが、同じ色ではありません。これほど「白」という言葉の定義は曖昧であって、言葉とはそこまでしか表せない、限界が存在する表現手法なのです。だからこそ、「言ったからわかる」「伝達しから大丈夫」などと思っていると、誤解や行き違いはたくさん起きるものです。過信は禁物です。

 これがよく起きるのはメールやLINEなどの通信手段。「バカ」という表現でも、怒り狂っている口調での「バカ」と、頭悪いなぁ…と思っている「バカ」、口説かれている女性が男性に発する「バカ」じゃぁニュアンスが全然違う訳ですが、これを文字上で見れば全部同じ「バカ」ですから、「バカとは何だ、コノヤロー!」とけんかになることもあるわけです。小中学生の友人のトラブルのほとんどはこんなものです。言葉というものに翻弄されてはいけないのですね。

 この物語も、「五十音村」から、小さい「つ」が家出するなどという、ある意味荒唐無稽な物語ですが、これを実に抽象的な、また象徴的な隠喩としてとらえれば、言葉というものを安易に「要」「不要」と捉えることの滑稽さを表しているのかも知れませんね。一見「無駄」だと思われるようなことも、実はそれが直接的ではないものの、無いととても困る、そういうものの存在を軽視してはいけないという教訓であるともとらえられます。

 世の中には、「無駄なことはするな!」「そんなの意味ないじゃん!」と声高に主張する人々がいます。確かに無駄なものを排除することは間違っていないのですが、一見無駄だと思われることが実は重要な役割を果たしていることもあります。表面的な浅薄な判断では物事の本質を見極めることは困難ですが、そういう浅薄な人々に限って声がでかいという特徴があり、甚だたちが悪いものです。

 小さい「つ」は、いかに自分が重要かを皆に伝えられて、五十音村に帰ってきます。無駄だ、意味が無いなどと他のものを表面的に批判することがいかに愚かなことかを、子どもへの道徳として教える教材としてはとても興味深い本です。大人ならすぐに読めます。言葉について考える契機になればと思います。


【小さい「つ」が消えた日】
ステファノ・フォン・ロー/三修社/1,400円