学習の遅れを持っているお子さん。桜学舎にはいっぱいいらっしゃいます。いや、いっぱいというのは語弊がありますが、たまたまご縁があった方を、桜学舎は他の子と「分け隔てなく」受け入れています。(別に積極募集しているわけではありませんので、念のため)

よく、一部の塾仲間からは「そういう子は無理だ」「受け入れない方がいい」などと言われますが、どうも私はそういうところだけは価値観が共有できずにいます。割と平気でいろんな子を受け入れてしまいます。学習の遅れだけでなく、所謂LDかも?と言われる子や、ADHDっぽい…なんて子もいます。しかし、小さな頃にそう言われていたのに、高校の頃に突然回路が繋がったように急成長して、有名大学に進学した子もいますよ。もちろん私立中学校入試で合格もしました。

小学生の頃にそんな子かも?なんて思われて、御両親も心配でご相談にみえる方も多いものですが、大抵高校生頃にはそれなりに成長して、落ち着きをみせていることが多いものです。親御さんはどうしても「このままだったらどうしよう?」と思ってしまいますが、子どもも自然成長しますのでね。

ただ、指導は大変です(笑)
でも、私もそういう子の指導に入りますが、学生講師にだって普通にやらせます。もちろん前情報としてきちんと言い含めて受け持たせますが、学生にとってもいい勉強なんです。大学生など、特に進学校から有名大学に行った学生など、自分がスタンダードだと思って調子に乗っていますから(笑)、そうじゃないってこと、出来なくて苦労している子や、いろんな境遇の子がいるってことをガッチリ、身を持って体験することで、広い見識と社会性を身に着けることが出来ますし、人格教育にもなっているのです。ゆえに、学生講師にも持たせています。

お陰様で、この経験が人生を変え、「特別支援学級の先生」を目指すことにした学生も出ました。進学校の講師をやめての進路変更。きっかけは桜学舎だったのだそうです。良かった良かった。

こういう桜学舎の無防備さは、いい面悪い面が表裏一体です。慎重になってしかるべしなのだと思いますが、どうも構えることが苦手です。生徒には勉強が出来なくて叱ることはありませんが、「嘘を吐く」「大人の目を盗んで誤魔化す」「意図的にサボる」という「躾」の部分は徹底して叱ります。もちろん諭して理由をちゃんと飲み込ませますが、ダメなものはダメ、そこはちゃんとやっています。それ以外は根気よくお付き合いしています。
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進学校の厳しいカリキュラムに疲弊してドロップアウトする子がとても多いのをご存知ですか?
今年桜学舎のわずかな生徒数の中でも、高校1年生が何と3名もドロップアウトしました。つまり、高校を退学してしまったのです。

一人は偏差値64の進学校。特進コース。
もう一人も、偏差値63の進学校。特進コース。この子の出身中は偏差値68の超進学校です。
さらに、偏差値51の中堅校。特進総合コース。

みんな、「特進」の子です。上の2人は、オール5レベルの超出来る子です。でも、やめてしまいました。今風に言えば、「病んで」しまったんですね。勉強、勉強、勉強… 1日7時間授業、8時間授業、休暇中も勉強合宿だ、補習だ、講習だと、休みなく呼び出され、提出物や課題の物量作戦。疲弊しない子の方が偉いと思います。少なくとも、私が高校生だったら、辞めるでしょう(笑) 自由な学校出身の私からしたら、自分の時間が取れないなんて無理です。でも、今の子って結構真面目なので、先生の話をスルーしたり、課題をサボる方法を一生懸命考えたりしないんですね。真面目にぜーんぶ従っちゃうので、ぶっ壊れちゃうのです。

もう少しちゃらんぽらんでもいいと思うんだけどなぁ…

そんな子を、塾としても放り出せない!という考えで、我々は鹿島学園高等学校と提携し、桜学舎で何とかして欲しいというご要望に応えられるようにしたというのが、通信制高校を始めたきっかけです。桜学舎は基本的に自由です。もちろん、「社会人として」おかしなところは正しますし、人として間違っていることは叱りますが、基本的に自由。通信の課題をしっかりやりながら、「生徒の顔を見て」学習指導をしています。

ドロップアウトした生徒は一体誰がどう面倒見るのか? 逆に吹きこぼれた子どもたちを、違った価値観ですくい上げるのは誰なのか?


今日も、久々に英語を見た…という生徒に合わせて、中学生の復習からスタートしました。これが私達の出来る教育の最大のメリットだなぁと思います。私教育ですから。

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そう考えると、学校って何なのだろう?と思ってしまいます。
ゆとり教育から変わって、カリキュラムも学習内容も増えたと言われています。
しかし、その反面、通信制高校や高卒認定試験(旧大検)などを利用すれば、あっという間に高校の勉強など出来てしまいますし、大学受験資格も取れます。

以前収録した中学英語の文法解説VTRが出てきたのですが、私の中学英文法解説講義の内容など、1回が15〜20分の講義、34回の授業で全てが終わります。

その昔、高等専修学校(通信制高校付)に通っている生徒が大学受験のために入塾してきたのですが、高3の時に学校で英語の授業がゼロだと聞いてびっくりした経験があります。毎日溶接とか、電気工事とかの勉強ばかりで、英語は一切やらないのだそうです。もちろん英語はbe動詞と一般動詞の区別もつかないレベル。

そこで、この私の英文法解説VTRをひたすら見せて、1講義終わったらプリント演習して、1学期間はずっとそれをやっていました。すると、全てやりおった後には、他校の生徒よりも安定して英語の点数が取れるようになり、とにかく間違えなくなりました。偏差値で言えば40に満たない学校の子が、偏差値60の学校の生徒より英語の小テストで点数を取れるようになったのです。結果的にその彼は帝京大学へ進学しました。英語は塾だけ。ビックリです。

ある生徒から言われました。
「私も、桜学舎で高校卒業出来るなら、それでいいなぁ…」
なるほど。10時くらいから始めて、午前中はレポートをやり、午後からは教科の勉強を集中的にやれば、中学内容など1学期程度で終わります。受験勉強につなげていくには、週4日程度の授業数でまかなえる気がしました。午後4時とか5時で解散! 週1日は楽しい自由な活動時間に充てられるかも…

そんな妄想を繰り広げながら、高校生たちと遊んでいました。
でも、これを現実化している方々もいるんですよね。通信制高校をネガティヴにとらえず、ポジティヴに活用する方法がメジャーになると、大きな変化が起こるかもしれないなぁ…と感じる瞬間がありました。

まぁ、小さな力では無理なんでしょうがねぇ…(泣)

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最近の学校に限らず、塾でも予備校でも。
物量作成で生徒を鍛えようとするような粗雑な指導でもなく、テクニックやコツで試験の突破法を教えるのでもなく、どうか「教科の中身」を教えてほしいと強く感じます。
生徒の「意欲喚起」ですよね。

ある教育評論家が、高等学校の予備校化が顕著で危険だとおっしゃっていました。
ちょっと行きすぎた予備校化が懸念される学校も見え始めてきた気がします。正直、テクニックやコツは我々業界の守備範囲。でも、その前に、勉強の内容の面白さ、楽しさ、素晴らしさを、どうか生徒に教えてやって欲しいのです。知らないことを知ることがいかに楽しいか、それを伝えるのが「指導者」の醍醐味じゃないですか。

「『をさをさ』があったら後ろに『打消し』を探せ。それを問われる入試問題が多いぞ」
こんなの、古文の勉強じゃないでしょう?
紫式部って、仮名だけじゃなく真名まで読めてしまって、かえってはしたないと思われていたんだとか、平安の昔でも「おしゃべりな女」は乳母から注意を受けるほどだったんだとか、そういう話や、ストーリーの面白さ、心理の読み取りなどを通して、古文の面白さや、現代において古文を読む意味とか、そういうことを教えてほしいわけです。

文法やら、単語やら、現代語訳などは、参考書が読めれば自分でどんどん学習できるのですから、何もわざわざ授業を受ける必要もないのです。だから、授業では「古文学習の意義」や「解釈の面白さ」、どんなことが学べて、何を知るべきなのかなど、どんどん知りたくなるような、勉強したくなるようなことを教えて欲しいんです。

子どもに夢と希望を与えるのが教育ですよ。やっぱり。
生きる方法を教えるのが教育です。
そのために、勉強することが大切なことを説くのが教育です。

考えてしまいます。

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受験勉強が出来るようになるよりも、素敵な音楽を奏でることが出来る人間の方が、人として上です。

学年順位がヒトケタになるよりも、美味しい料理を提供して、お客さんから感謝されたり、素敵な時間を提供できる人間の方が上です。

人より偏差値が高いよりも、人に優しい言葉をかけたり、丁寧に接することが出来る人間の方がはるかに質が高いです。

偏差値の高い大学を卒業するよりも、愛する家族をしっかり守れる経済力を持っている方が上なのです。

そんな、人として当たり前の価値観を認めないというか、ないがしろにするような教育価値観を持ってはいけません。尊敬に値するような立派な人間は、確かに立派な学業成績をおさめている方が多いものですが、大前提として、人間として立派でもあります。教科の勉強以外出来ない、興味がないなどという偏った、つまらない人間が成功者として私の前に現れたことは、残念ながら皆無。皆、芸術をたしなみ、他方面の趣味を持ち、ビジネスも成功されて、文化的な豊かさも持ち合わせています。

いわゆる「勉強馬鹿」は、成功できません。
受験テクニック依存者は、張子の虎。すぐにボロが出てしまいます。

だからと言って、都立高校の「実技科目の内申点は2倍」ってのもどうかと思いますが、勉強できれば偉いんだ、勝ち組なんだという偏った考えは正したいなぁと思う昨今。

勉強が出来ること以外に。

楽器を奏でる素晴らしさ。
異性とお付き合いする高揚感と幸せ。
自分の感じたことを絵に表すことが出来る素晴らしさ。
スポーツで人を感動させたり、料理で人を幸せにしたり、弱い人にソフトに接することが出来る優しさや、他人に気遣いが出来る繊細さ、親切さなどなど。

勉強が出来るよりも、どれほどこれらが人間としての質が高いか。そして人として偉いのか。さらには本人が豊かに生きていく方法であるのか。

きちんと「人間教育」した上で、初めて「学力が高い」が生きてくるのです。
何だか、これほどまで、猫も杓子も勉強だ、特進だ、大学合格だと言われると、アンチテーゼの人間としては非常に面白くないわけです。

学校が受験テクニックを教え、塾が本質的な学習を進める。
本末転倒のような気がします。