長いこといろいろな子供達に接してくると、私たちに出会って大きく考え方を変えてくれて、前向きに人生を歩んでいってくれる子というのがいます。ありがたいことに、そんな子たちはわざわざ私たちに結婚の報告に来てくれたり、時には結婚式に呼んでくれたりします。昨年は結婚式が多い年で、随分とご祝儀貧乏になったものです(笑)まぁ、嬉しいことですから、呼ばれれば必ず行きます! ただ、「塾の先生」なのに、こうして声をかけてくれたり、会いに来てくれたりするのは本当に嬉しいし、そういう関係を築いていることが、私たちの塾がちょっと他所とはちがうのだろうなぁと思います。なかなかチェーンの塾ではこうはいかない気がします。

先日書いたように、私たちは結構厳しいことも言います。しかし、お腹に何もなく、ただその子に「言ってあげなきゃいけない」という強い信念で言います。ダメなものはダメ、間違っていることは間違っていると、はっきり言います。遠回しに優しくなんて言いません。親と同じ感覚です。いや、親御さんより下手したらストレートに言っていると思います。キツいなぁと思う子もいるでしょうが、私たちはその場を取り繕うだけで、その後にその子がとんでもない恥をかいたり、とんでもない不利なことが起きたりしないようにしたいと思いますし、つまりは「見て見ぬ振り」はできないということなのです。だから歯に衣着せず、言うべきことは言います。それをちゃんと受け止めてくれた子は、本当に人生を180度転換するくらいの変化を見せてくれるものです。若いうちは、悩むし、間違うものですからね。

ただ、いつまでもダメな域を脱することができない子もいます。それはどんな子か?
「いつも自分だけが損をしている」と愚痴る子。
「自分はこんなに苦しい思いを我慢しているんだから、これくらいしても許されるだろう」ということを言い出す子。
こういう子は、本当にダメですね。
言わなくても、そういう考え方を持っている子は、間違いなく自分に甘いし、僻み根性もあるので、ダメな状態から抜け出すのには大変時間がかります。

他の子は勉強しなくても出来てる。
だから勉強ばかりさせられている自分は損ばかりしている、と?
 
いやいやいや、みんな、お前の数倍努力してるんだって!
普通「俺、勉強してるぜ」なんて友達に言わないでしょう?
勉強しないでもできるようになっているなんてあり得ません。他人の努力が想像出来ないというのはどうかと思います。
 
自分も1時間頑張って勉強したんだから、ちょっと漫画読むくらい許されるだろう?
ネットやるくらい許されるだろう?
ちょっとテレビ見るくらい許されるだろう?
こういう子は、大抵勉強時間と休憩時間が等価交換にすらなってないことが殆どです。
ダメなところを抜け出すことが出来ない子の典型です。

実はこういう大人もいますよね?
自分はモテない。不公平だ! どうせダメなんだ、みんなはオイシイ思いをしているのに!
そうですか? では貴方は何か努力をされてますか? 誠実ですか? 一緒にいて楽しいですか? 少なくともそういう愚痴を振りまいている時点で、他人のせいだとして拗ねている時点で、「ダメ」なところを脱することが出来ていない気がします。モテない? そりゃそうだろうなぁ(笑)

自分は正社員になれない、いい仕事に就けない。他の奴らはオイシイ思いをしている、ズルい。差別されている…
そうですか? 学生時代にどんな努力を重ねてきましたか? 仮に学生時代に失敗しても、それを取り返すように勉強したり、技術を身につけたり、前向きに努力をしていますか? 必死に努力をして立派な大学を卒業してきた人と、グウタラばかりして何の実績も持っていない人が同等に扱ってもらえるわけはありません。不公平だなんて、一体どういう了見なんでしょうね?(笑)

自分以外の人間はオイシイ思いをしているはずだから、辛い思いをしている自分は、これくらいのことをしても許されるはずだという勝手な論理で身勝手なことや、果ては犯罪まで犯してしまう人間も、最近では随分報道されるようになりました。好き勝手なこと言いやがって…と思うことが、最近の犯罪報道などを見ると多々ありますね。自分基準でしか世界を見ることが出来ず、みんな自分と同じだと思っているという思い上がった考え方をしているのですね。でも、みんな実は陰で努力してるんですよね。そういうことを想像できなかったり、そういう部分を見抜けなかったりするのは問題だと思います。

かなり昔、「朝まで生テレビ」で、格差問題がテーマになっていた時、パネラーとして出演していた企業の社長に自分の不遇を訴え、「僕にもチャンスを下さい、僕にもお金を貸してください」と訴えた若者がいました。見ると、ボサボサの長髪に原始人のようなヒゲぼうぼう。びっくりするような容姿。事情があって中卒だと言っていました。残念ながら、その彼にお金を貸す人はいないでしょう。私もTVを見ていて腹が立ったのをいまだに覚えています。

人間は基本的な存在としては平等です。しかし、その人が持つ価値は決して平等ではありません。自分の価値を上げるも下げるも自分次第。もちろん苦しい状況にある人もいますから、そういう方を支援する方策も整備していくことは重要でしょう。でも、自分が努力もせず、不遇を抜け出すためにもがくこともなく、ただ不遇を嘆き、誰かが悪い、誰かが助けろ、みんなズルいと騒ぐだけでは、誰も相手にすらしません。

もちろん、状況的に苦しい子、不遇な子は救いの手を差し伸べてあげたいと思っています。ただ、桜学舎に来ている子は少なくとも「環境」「状況」は整っている比較的恵まれたお子さんだと思います。そんな恵まれている環境にあるくせに、誰が悪いとか、これが悪いとか、これくらいやってもいいだろうとか言い出す子には、そうそう笑ってスルーできるほど私は寛容ではありません。

チャンスは平等じゃないのです。
いや、百歩譲ってチャンスが与えられることは平等にしたとしても、それを確実にモノにして手にいれる「結果」は平等はありません。 
チャンスをモノにできるか、そのために謙虚に努力できるかどうかは、どう勉強するかとか、何を勉強するかという問題ではありません。それよりもだいぶ手前にハードルがあります。考え方、生き方。そういうところです。なかなかそこを伝えるのが難しい子もいます。正直、います。でも、それは放置できません。繰り返し繰り返し、諭すしかありません。謙虚に、ストイックに、努力することを教えねばなりません。

人間が平等なわけなかろうよ。
人間の価値が同じであるわけなかろうよ。
同じなら、何で一生懸命努力して自分磨きをする人間がいるのだろうか? それ考えたらすぐに分かることです。みんな、自分を少しでも価値あるものにしようと努力するのです。
頑張ろう。