「お母さんが行けと言ったから塾に来ている」
「別に勉強に興味はないけど、やらなきゃいけないから」

そんなことを時々いう子がいます。
まぁ、めったにいないのが桜学舎の特徴ですが、それでもやっぱり時々います。こういう子。
で、大抵私に「ちょっと来い」と言われて諭されます(ああ、怖い怖い 笑)

桜学舎の基本的なスタンスは、
「別に頼んで来てもらってるわけじゃない」
「来たくないなら来なくていい」
なんです。冷たい言い方かもしれませんが、私たちは一生懸命な子や、ここが好きで来てくれている子にはあたたかいですが、別にやる気もない子や来たくない子にまで目をかけるほど優しくはありません。言い換えれば、今いる子を最大限大切にしていく方針で、それ以上の器は無いと自覚しているつもりです。

だから、嫌々来てるなんて、正直「屈辱」でしか無いので、「嫌なら来ないで」とはっきり言います。
この時点で結構子どもってびっくりするみたいです。大人は皆打算があって、結局塾だって私には辞めてほしくないんでしょう?なんて考えている生意気な子どもも意外にいます。だから、「嫌なら来んな」と言われるとビックリ。かえって「この人は裏表が無い」と逆に信用された例もいくつかあるくらいです(笑)

そして、嫌なら来るなのあとは、決定打を放ちます。
それは、
「嫌ならなぜ来た? 嫌だけど、親の言うことを聞こうと決めたのは君じゃないのか? 嫌だけど、仕方ないから塾に来ようと決めたのは自分だろう?」

選択理論と呼ばれるものの一つですが、本当に嫌なことは何がなんでも避けますよね、人間。嫌々だろうがなんだろうが、その行動を選択したのは自分。自分が最終的に自分の行動を決めたということになるんですね。塾を辞める自由もあるけど、どうする?と聞くと、ほぼ100%「続けます」と言います。続けるのも君の選択だけど、それでいいの?と聞くと、「いい」と言います。

自分の不満や、不遇、漠然とした閉塞感や倦怠感を他人のせいにすることの愚かさをガンと目の前に叩きつけてやると、自分でもそれがいかに愚かかを悟ることが出来るのだと思います。その後、面倒臭いだとか、嫌々来ているとか、やる気が無いとか、そういうことをあまり言わなくなるものです。不思議なものですね。

これも、実は私の母の教育だと思います。
父はこういう点でとても保守的というか、頑固なタイプでしたのでダメでしたが、私の母は非常に「変化球」でストライクを取るのが上手な人でした(いや、まだ健在ですけど!) 直球豪速球投手は、球筋が読まれるのも早いものです。しかし、母のような変化球投手は、つかみどころが無いというか、常に子どもの敵う相手ではなかったものです。だから、私が知ったような口を利いてみても、「まだ甘いな」的な回答が返ってくることが多かった記憶があります。

「人間っちゃそういうもんでしょ?」
とよく言われたものです。複雑怪奇な人間というものを、「複雑怪奇なものだ」と理解する。ある種の悟りというか、方程式では答えは出ないものだということを母からは習ったと思います。それが、私の「人間理解」の根底にあるのは間違いありません。

だから、グーの音も出ないようなお説教をビシッとされることもあったものです。
全ての行動は自分で決めてしている。拉致や逮捕監禁でもされない限り、自分の意志できめているのですね。状況のせいにしたり、環境のせいにしたり、そういうのってダメなんでしょうね。もちろん、やむをえない場面もあるんでしょうが、それも含めて、状況判断もして、自分でこうしようと決めていることがほとんどです。ましてや、子どもは。

ゆえに。
親に従うと決めたのは君だ。
No Excuseなんであります。

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