先日から、久々に個別の授業に入っています。塾長自ら個別授業に入っているというのはどういうことかと言いますと、純粋に講師が不足しているということでもあります(笑)これだけ講師がいても足りないというのですから、おかげさまでもあるのですが、塾長自ら個別授業へ出張るというのも困ったものです。この時間を他の指導へ回さねばという危機感もあったりします。

が、久々に個別授業へ出て、気づきもあります。
つい先日、久々に見ていた小学5年生の子が、勉強はできるようになっていたり、ノートをきちんと取れるようになっていたりするのは成長だなぁと感じたのですが、残念ながらまだまだ甘えが強く、「他力本願」であるところがありました。ああ、これは講師ではなく「オッさん」(笑)の出番だなぁと思ったので、ちょっと「1分間説教」をしました。それは、
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○○はさぁ、すぐわかんなくて「教えて」って来るでしょう?
しかも白紙で、やってみたところも全部消して持ってくるでしょう?
でも、オレにやったとこまで持ってこなきゃダメって言われて、何も教えてもらえなくて突き返されて、もう一度やって持ってきたらマルもらえたでしょう? どういうことだか、分かる?

『え? ちゃんと読めばできるってことでしょ?』

それもそうなんだけどね。そう、ちゃんと読んでちゃんとやれば、あなたはできるんだよね。でもね、「教えてもらえば出来る」って思ってない? わからないところは先生に聞けば出来るようになるって思ってない?

『え? 違うの? 教えるのって先生の仕事じゃないの?』

違うね(笑)
まず「教えてもらったら出来る」っていうのは幻想だね。間違いだから、今日から改めなさないね。教えてもらったら出来るってのは、自分で考えたり苦しんだりする過程が抜けるから、その場ではマルがもらえるかもしれないし、居残りしなくて済むかもしれないし、大人には勉強しているアピールができるかもしれないけれど、出来るようにはならないね。ただ聞いてるだけだから。

先生の仕事は、出来るようにすることなんで、ただ教えて終わりじゃないから。
教えなくても出来るようになるなら、教える必要もないし。

『ふーん』
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キョトンとしながらも、ふーん、初めて知った…と言っていました。そう、「教えてもらったら出来るようになる」、だから先生に「教えて教えて」と言うのが良い生徒だと、子供達は勘違いをしています。先生にいっぱい聞けば塾を活用していることになると思っている子もいます。先生にいっぱい習ってるからいい子でしょう?と思っている子も沢山いるんです。

でも、残念ながら結果のいい子はそんなに絡んできません。必要なところをしっかり聞いてきますが、普段は無駄な質問もしないし、自助努力がきちんと出来ています。

これは何なのだろうと考えてきましたが、やはり「自己承認」なんだと思うのですね。人間、ダメだ、足りない、もっとやれと言われてモチベーションが続くことは少ないと思います。ほんの少しのことでも「出来たね」「力があるね」「すごいね」と認めてあげること、これが次へ繋がります。やたらに絡んでくる子や、質問をいっぱいしたがる子は、どこかで「認めてほしい」という気持ちが強いのだと思っています。だから、沢山「力があるよ」「能力的に優れているよ」と私は認めます。ただ、せっかくの力も努力して磨かないと光らないよとも。自分を認めることができれば、少しずつ前へ進むのが人間です。

教えてもらいたいという気持ちには、そういうところも隠れているんだろうなぁと思っています。

ただ、明らかな事実としては、教えてもらうという作業が成績を伸ばすことはありません。未知のものを「既知」に変える作業であって、新しい知識との出会いの場であり、情報収集の場でもあります。しかし、思考力が伸びたり、得点力が伸びて、結果が出る場ではありません。野球の練習法やルールを知っただけで甲子園に出られるわけではないのと同じで、「自己練習」が必要です。

宿題や自習は「自己練」
塾の授業は「チーム練習」
模試は遠征しての「練習試合」
大会が本番です。

自己練しないで、チーム練習に来ても迷惑なだけ。当然レギュラーになんて入れません。同じことですね。自己練をする際に先生についてもらうことなんてありませんよね。でも、この自己練と体力作りが「要」であることは、スポーツを少しでもやったことがある方は分かるでしょう。結局は自己練が結果を左右するんです。

教えてもらうのももちろん結構。そういう時間ももちろん必要です。
でも、自己練する時間はそれ以上に重要。

ふーんと聞いてくれた小5の子は、変わってくれるかなぁ。
まぁ、一度言ってすぐ変わるくらいなら苦労はありませんね。何度か、根気よく伝えていくうちに響くことがあるってなもんです。小学生の指導は「根気」も必要です。