私が勝手に敬愛している有名なコンサルタントの先生は、日々「今日の言霊」という記事を書いています。先日、川端康成の言葉を取り上げていたのが印象的でした。

◇日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね。(川端康成)

この言葉に対して、先生はこうお書きになっています。

日本の子どもたちは、親の過干渉、社会の過干渉の中にいる。いつでもケアの対象として、親からも社会からも見られている。しかし、その過干渉が、子どもの自律=自立を妨げていることに、多くの大人は気がつかない。

なるほどなぁと思います。子育てをしている友人たちと話していると(私の周りは躾しっかり系の親が多いのですが)、やっぱり指示待ちの子が多く見られ、大人が何かしてくれるまで待っている、もしくは期待の目で見ているということが多いのでどうしたものか…なんて話が出ることがあります。

先生はまた次のように続けます。

人間は孤独を経験しない限り、自分の確固とした考えが生まれないものだ。自分自身との対話を経なければ、自分の考えを形成することはできない。そういう意味で、子どもに孤独を教えないと大人になってはいけないのだ。過干渉では、依存関係が生まれてしまうだけだ。(中略)ケアを必要としない訓練として子どもに孤独を教えることだ。孤独こそ、自律=自立を促す経験になるのだから。

私の最初の「孤独」は、小学生の頃でした。
小学校入学前、弟が生まれる際に母が大病をして、1年ほど母の実家である早稲田へ預けれらていた経験があります。私が早稲田を第二の故郷のように思っているのは、そういう理由があります。ゆえに、小学生の頃からちょっと大人びてしまったところがあり、学級委員やリーダーに指名されることがありました。何となく仲間内でもリーダー気質であったのでしょう。ただ、仲間どうしが仲良くしているところで、何となくリーダーが決めなきゃいけないこと、代表してやらなきゃいけないことがあり、疎外感を感じてしまったことがあったのだと思います。そんなことを母に話したところ、母は「リーダーってのは孤独なもんだ」と私を諭しました。そうなのか… ただ素直にそう学んだ記憶があります。

その後、中学、高校と同じようなことを感じたものの、母の「リーダーってのは孤独なもんだ」という言葉はずっと残っていて、自分自身と対峙し、自分自身と会話をし、自分が何をどうしたいかを考えて来たところがあります。

2回目の大きな「孤独」は浪人時代でした。
大学付属校に通っていながら、外部を受験すると言い出し浪人したわけですが、友達とつるむことなく(つるみそうだったので、みんなであえて別々の予備校へ行ったりしました)一人行動の1年間。昔から自分自身に対峙することには耐性があったので特に心が折れることもなく過ごした1年でしたが、この時ばかりはかなりいろいろなことを考えました。現代文の文章をかなり読みましたので、哲学的なことにも多く触れ、様々な角度から物事を考える癖をつけたのだと思います。この1年は自分の人格形成にはかなり大きな時期だったと思います。

そして、3回目の大きな「孤独」は10年近くありました。
子どもの時期ではありませんが、私の30代は正に「孤独」の時代でした。

高校大学と東京で過ごした私が仕事は千葉で始め、その後に一つの塾の運営を始めるので、やっぱり塾へ張り付くことになります。人と異なる仕事時間や休日、そしてサラリーマンではなく自営という人と大きく異なる境遇。一緒にやった友人がいるので、全くの孤独ではないにしても、以前より強い「孤独」を感じましたし、また塾の経営者となってからはさらにそこへ「総責任者」という立場も加わり、「孤独」を強く感じて行きました。

しかし、だからこそ自分の塾に向き合い、自分が考える教育に向き合い、とにかく自問自答する毎日。最初から塾経営がうまく行ったわけではなく、本当に飯も食えない時代がありましたので、かなりの精神的な戦いを経験しています。会社破綻の恐怖感や生徒が集まらない不安、資金繰り、社会的責任。どれもこれも本当に私の胃を直撃し(笑)ましたが、ぶっ倒れたところで何の保障もケアも無い現実。でも自分であえて選んだ道であること、誰にも頼れないことを認識していましたから、本当にこの仕事で身を立てるまで苦しい「孤独」との戦いでした。

反面、数多くの可愛い生徒たちに恵まれるようになり、スタッフにも恵まれて、少しずつその孤独が自信に形を変えて行ったのも事実ですし、塾自体が成長することで私自身も成長し、そして自信を持ってこの仕事を続けていくことができるようになったのも事実。だからこそ40代、妻とともにここまで頑張ってこれたのも事実です。

やはり私もこの「孤独」という時間がとても重要だったのだと思います。孤独というと少し誤解を生むかもしれませんので、少し咀嚼して言えば、「自分自身に向き合って考える時間」というように理解をしていただくといいのかもしれません。

実は、勉強において、この「孤独」の時間、「自分自身に向き合って考える時間」は「家庭学習」「自習」にあたります。よく、「塾に通っているのだから成績が上がるはずだ」とか、「塾に通っているのに成績が上がらないのはその塾の腕が悪い」のだとか、「成績上げるのがお前たちの仕事だろ!」なんておっしゃる方も世の中にはいるものですが、残念ながら成績をあげる、勉強をするのは本人。もちろん、本人にそのやり方を教えたり、それを促したりと、できるように対策するのは塾の仕事ではあるのですが、結局は自分自身に向き合って考え、家庭学習や自習で自分の力に向き合うことで成績は上がります。

そこをきちんと諭せるかどうか。それが大人の重要な役割ですし、出来る子と出来ない子の明暗を分けてしまうのも、これまた事実なのです。

「授業を受ける」=「勉強がわかるようになる」
と、直結する話じゃないのですね。今、中学受験の子達がそろそろ「理解不足」になって来ています。でもそれは勉強ができないのではなく、授業後にテキストを読み返したり、自分でやり直してみたり、宿題を自力で考えたりと、そういう「孤独」の中で自分自身の弱いところや理解不足のところに向き合うことが足りていないのです。だから「漠然とした不安」となってしまうし、「全部わかんない!」となるのです。幼い子達にはまだまだ大人のサポートが必要ですが、手取り足取りやるのではなく、また猫可愛がりするのではなく、「どうしたら自分でできるようになるのか」「何にトライしてみるべきなのか」「失敗した時はどうすればいいのか」ということをちゃんと諭すことが重要なのだと思います。

ふと、「孤独」という言葉に反応して、つい長文を書いてしまいました(笑)

でも、今の子って、SNSや携帯などの発達で、「孤独」=「嫌われ者」「変な奴」という意識が強すぎて、表面的に群れてばかりいるような気がします。でも、実はそんなところに息苦しさを感じている子も多いのではないかなぁと思います。もちろん辛い孤独もありますが、必要な孤独、良い孤独もあるんですよね。幼い子達以外、中学生や高校生、大学生であっても、自分自身に向き合う時間は大切にして欲しいなぁと思っています。