若かりし頃。

イス大王・栗栖正伸と死闘を繰り広げていた初期の頃から大仁田厚に熱狂していたものです。その後、大仁田の対戦相手はミスター・ポーゴになり、より凄惨なデスマッチに発展して行き、例の有刺鉄線バリケードとか電流爆破なんかにつながっていきます。
 
大仁田の「痛みの伝わる試合」の相手として、ポーゴは最適の相手だったのでしょう。とにかくポーゴはハチャメチャ。鎖鎌で大仁田をぶっ刺し、フォークで血だるまにして、鎖で絞首刑、最後には火炎放射で丸焼き。プロレスだか何なんだかわからないリング上の出来事に、観客は唖然とするか悲鳴をあげるしかありませんでした。と同時に、絶対的エースの大仁田に肩入れし、本気でポーゴを憎み、途中から形勢が逆転して大仁田が反撃に出ると、本当に心踊って興奮しました。当時のFMWに集まるファンたちは、本当に「熱狂」していました。本当にポーゴは極悪人だと思ってしまいました。
 
しかし。プロレスはあくまでスポーツエンターテイメント。確かに血を流し、肉体を傷つけ、痛い思いをしているのは事実。でも、ポーゴの「一歩間違えば…」というギリギリの攻撃も、悪役に徹し、大仁田ファンから憎まれ、観客を徹底的に煽り熱狂させる、そういう戦略がハッキリと見えていました。私も分かっていて熱狂したのです。その役者ぶり、プロ根性はすごかったと思います。
 
あの時代のインディ、FMWやW☆ING、IWA Japanなどは、今映像を拾ってもものすごいことをしています。売れるためにはメチャクチャをやっていたとも思いますし、体が心配になる選手も多々。晩年のポーゴも体の痛みと戦っていたようですし、大仁田も傷だらけ、金村キンタローなど全然動けませんし、愛するハヤブサは逝ってしまったし。でも、凄かった。あの時代の試合は、本当にそう思います。
 
ポーゴが逝ってしまって、何だか本当に自分のあの夢中になって見ていた時代の象徴がなくなってしまった気がしました。こうしてひとつひとつ若かりし頃の思い出がなくなっていくんだろうなぁと思うと、ちょっと焦りを感じます。
 
自分が今の仕事でも「インディ」を名乗るのは、少なからずこういう方々の影響があります。熱狂的なファンを掴むことが重要だと考えているのも、きっとこういう世界をじっくり見て来たからでしょう。そして、プロとしての意識を「考察」してきたからこそ、自分の仕事に向き合う人生を歩んで来たのかも知れないなぁと改めて思います。
 
「いいか、分かったか!分かったら出てけ!」

ダミ声でカメラを追い出すポーゴ。
極悪人なのに憎めないキャラでした。
ご冥福をお祈りします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/700995/

“極悪大魔王”ミスター・ポーゴさん死去 66歳
東スポWeb/2017年06月23日 15時14分
“極悪大魔王”の異名を取ったプロレスラー、ミスター・ポーゴさん(本名・関川哲夫さん)が死去したことが23日、分かった。66歳だった。
 関係者によると、ポーゴさんは22日、埼玉県内で腰の手術を受けた際に脳梗塞を発症。県内の別の病院に搬送されたが、23日午後0時21分、帰らぬ人になった。数週間前にも手術をしていたが、出血が止まらなかったことから中断。これが再手術だった。
 ポーゴさんは大相撲時代は関川の四股名で活躍し、廃業後にプロレスラーに転身。1972年3月30日に行われた新日本プロレス足立体育館大会の藤波辰巳(辰爾)戦でデビューした。
  その後は主戦場を海外に移したが、90年に大仁田厚(59)が立ち上げたばかりのFMWに参戦。その後は分裂したW★INGに移り、デスマッチファイターとして一世を風靡した。FMW復帰後はポーゴ軍を結成して人気を博した。
  2003年には地元の群馬・伊勢崎市議選に立候補するも落選。近年は00年に旗揚げした団体「WWS」を手がけていた。
 15年3月に脊柱管狭窄症で腰の手術をし、14年11月23日のWWS伊勢崎大会を最後に長期欠場が続いていた。
 なお葬儀、告別式は親族のみで行われ、後日お別れの場が設けられる予定。