つい先日、先生に暴行する生徒の動画が問題になっていましたね。
私もその動画、見ました。
あー先生も大変だなぁと。あんなに生徒に殴られても、胸ぐら掴まれても反撃しちゃいけないんですね。命の危険性から身を守ることすら許されない職業って、大変ですね。

実は私の父も教員です。
いや、「でした」(笑)もう88歳ですからね、大昔です。
父は大変恵まれていて、初めて赴任した学校はさほどでもありませんでしたが、2つ目の赴任校は伝統ある進学校で、次の転任先も県下有数の進学校。転任もさほどなく定年を迎えました。だから、こういうこととは無縁だったと思います。ちなみに定年後も、県下一の私立進学校に勤め、75歳まで教壇に立ちました。

たまたまですが、そんないい思いをしていた父でしたから、私にも「教育をしたいなら教員になれ」「公立の教員の方がいい」としきりに言っていました。ドラ息子の私はそんな忠告を聞くわけもなかったのですが、そもそも私は「教員になりたい」と思ったことは一度もありませんでした。

その理由は、実はこれです。

私は、生徒を選びたかった。(スイマセン!)

もちろん市場経済においては、私たち塾は「選ばれる立場」でもあります。しかし、私たちは私たちが目指す指導と教室環境を守るために、私たちの考えに合わない子はいくらご希望があっても入会はお断りしています(と言いながら、かつてお断りしたのは20年で1件だけでしたが(笑)) 器が小さいと言われればその通りなのですが、私以上の器を求められれば、当然こういう問題が起きて来ます。しかし、「学校」という公的な場であれば、そんなセグメンテーションは出来ませんよね。

妙な話ですが、何だか私は「不良」に好かれる性質があるようで(笑)、中学時代の友人も、いわゆる「やんちゃな人」が多いですし、いまだに仲良くしてくれています。千葉にいた頃は一時期塾が不良の駆け込み寺みたいになってしまって大変だったこともあります。まぁ、先入観を持たず、学校や地域の評判はともかく、私との約束がきちんと守れればいいし、そうでなければ私も叱るという立場を取っていたので、何だか私や塾には迷惑をかけちゃいけないと頑なに信じる「不良」が多かった記憶があります。まぁ、その子達は「私の手に負える」子だったということでしょう(笑) もっとも、今、そういう子が社会で活躍してくれて、立派に家庭を築いていたりするからホッとしますけど。

あの動画を見て、私の世代ならふと思い出すのは「金八先生」ではないでしょうか?

「腐ったミカンの方程式」

です。新谷二中から転校して来た加藤優の話。覚えてますか?
箱の中に1つ腐ったみかんが入っていると全部腐ってしまう。だから腐ったミカンは放り出さなければならないというやり方で桜中学に転校させられて来た加藤が、転校初日に大暴れ。加藤がいる暴走族のたまり場のスナックへ金八先生が乗り込む場面はドキドキして見てました。

金八先生が、

「俺たちはミカンつくってんじゃねー!人間作ってるんだ!」

って絶叫するシーンは、さすがに感動しましたけれど、でも、暴力沙汰や器物損壊、そして何より他の生徒の生活がボロボロになってしまうという視点が抜けていて、あの当時の私はちょっと違和感を覚えていました。実際、あんなことが自分の生活の中で起こったら、本当に困るなぁとも思いましたし、金八先生を実際の先生に求めるのも酷だなぁとも、あの時代に感じていました。私の中学は、少々やんちゃな子もいましたが、実に平和な楽しい学校でしたけれど、やっぱり学校が聖域だとか、先生が警察を呼ばないで全部「教育」の中で対処しようとする姿勢には、どうも「?」がついていました。

まぁ、学校の先生にはなれませんね、私は(笑)

私は、「教員」ではありません。塾も「学校」ではありません。
位置付けとしては、私は「近所のオッサン」です。近所のオッサンは社会人で、自営。社会人として正しいかどうかは分かりませんが、自営業者・会社経営者としては20年ほどの実績があります。親目線、社会人目線で見た「子どもの教育」を考えます。ですから、この子がこんなことで世の中に出て行ったら大変だろうなぁと思って指導します。

先日も、口のきき方を知らない小学生を叱りました。3つも年上の女の子たちに「オマエ」とか「ふざけんなよ」とか。みんな優しいから怒られないけれど、私たちの時代だったら先輩に囲まれてヤキ入れられてましたよね(笑)

塾で追いかけっこしていた子も怒鳴られてました。
「塾で事故が起こったら誰の責任になると思ってんだ!」って怒鳴られて、初めて「塾に迷惑がかかる」ということに気づいた様子。

挨拶しないで入ってくる子、帰る子は「やり直し」を命じられます。
先日も書いた通り、自分の家以外は「他所」です。他所でお行儀がよく出来ないのは、家庭の躾を疑われます。だからちゃんと家の名誉のため、父母の名誉のためにも、他所ではお行儀よく、きちんとしなければダメです。何より、躾がなってなかったり、お行儀が悪い子は、大人になってから白い目で見られますし、何より親御さんが恥をかく、そういうことを本人に言ってやらないと分からないものです。ちゃんと、「親が恥かくんだぞ!」って。

それで、あんな風に蹴られたら、私、どうしよう?(笑)

いや、学校ではないので速攻で110番ですけどね(笑) まぁ、塾の教壇に立って来年で30年、そんなことは一度も無かったので、これからもないような気がします。 

残念ながら、私たちには「出来ること」しか出来ません。そして守備範囲も自分たちで決めることが出来ます。ゆえに、自分たちの守備範囲をしっかり全う出来ることが、私たちの社会的責任だと考えています。

その点で言えば、学校の先生は大変。本当に大変です。
あるデータでは、離職率も以前の何倍にもなっていて、精神疾患で休職するという先生も激増しているとか。こんなプレッシャーや厳しい環境の中で、それでも使命感を持って仕事をしてくれているのですから、先生には頑張って欲しいなぁと最近思います。 そして、1人で30名、40名という生徒を受け持っているのですから、先生に過度な期待をしても気の毒というものです。

こんなことで、教員を目指す若者が減ることがないよう祈ります。
そして、十把一からげにされて何となく立場のない、その高校の他の生徒さんの心情もお察しします。
そして現職の先生方に、応援とリスペクトを。