「本質を勉強して来なかった子」がここへ来て苦戦し始めています。

「どこに何を当てはめて計算する…」式の学習を、「本質的な勉強ではない」と私は言い続けているのですが、やはり「受験テクニック」をご存知の親御さんや、大きな塾の経験者は老いも若きも、こういう勉強に流れがちです。

ただ、「ここに食塩を入れる」「ここに全体を入れる」というように、公式や図式のどこに何をあてはめるというのは、それ自体は何の勉強でもなく、ただ「手順」を学んでいるに過ぎません。どうしてその部分に食塩が入り、どうしてその部分に食塩水全体に重さが入るのか? どうしてそこを割り算するのか、そういう部分をまるっきり無視して、「この公式が万能公式だぞ?」「これに当てはめれば答えはすぐ出るぞ」というのは、なぜそれがそうなるのかを理解するのとは異なるのです。

確かに計算すれば簡単に答えは出るのですが、いざ応用問題や文章問題になったときに、それが一体何を意味するのかをほとんど理解することが出来なくて、単純な基本問題なら解けているのにもかかわらず、ちょっと問題の出し方を変えられると「出来ない」ということが多々あります。

またそれが繰り返し、「やり方」として学ばれてしまうと、その中身や意味、本質に全く届かない学習になってしまいます。応用する場面になって、この時期に受験生なのに、「やり方が全く分からない!」と言って嘆いている子がいましたが、ほら、言われたとおりにやらないから…とお小言を言われる場面も。

計算問題や、単純な知識反復の学習には、公式学習はかえって有効な場面もあるのですが、それでも近年の本質的な学習や考える学習に対しても、また記述式の本格的な入試問題にも全く歯が立たない場面が多々あります。

有名なプリント教室がありますが、あそこで算数が出来るんだという子は、桜学舎で本質学習に取り組めるまでに1年かかります。よくいろんな場面で言いますが、「答えは『引く』」違います!「じゃぁ、足す!」「あ、かけるかける!」「じゃ、割る!」という答えを平気でやります。私に、「じゃぁって何だ!?」と叱られた子は一人や二人じゃありません(笑) こういう子が、複雑な算数の問題を腰を据えて解くことはめったにありません。あてはめ学習、あてずっぽう学習は何の成長にもなりません。

ましてや、英語は4技能が重視され、読み書きの他にも「話す」「聞く」まで入ってきています。考える力が無いと厳しいことになります。算数・数学は文章題が、国語は記述問題が、理社においても資料を複数使った記述式の論述問題が多くなる傾向にありますし、世は本当の学力を持った人間を求めつつあります。「受験勝者」が欲しいわけではなく、本当に出来る人間を求めているのです。

手順で乗り切ったり、マークシートの解答法で乗り切ったりした学力は、現実とのギャップが大きく、かえってマイナスになります。意味理解を心がけたいものです。