スタッフに向けての年頭言を書いていて、ふと気づきました。
今年、私は50歳になります。
50といえば、かなり立派なオッサンです(笑)
徐々に、オッサンでなければ出来ない仕事をして行こうと心に決めているのですが、それにしても時の経つのははやいものです。

昨年、上野桜木教室開校20周年記念パーティをやらせて頂きました。
学生のころから塾の教壇に立ち、個別指導や集団指導、中規模な集団指導まで、様々経験させて頂き、卒業時には大手塾の内定も頂いたりと、どっぷり塾人生。気づけば間も無く30年になります。

学生の頃、初めて門を叩いたのは、江戸川区の平井にある塾でした。純粋にアルバイト情報を見て訪ねていったのですが、当時の私は少し髪を伸ばし、およそ塾講師らしからぬ格好でした。そんな私を、

「君みたいな人のほうがかえって生徒受けがいいのかもしれない」

と言って採用してくださった塾長。それが、この業界に入るきっかけになりました。 
担当が不足しているからと、たまたま担当したのが国語で、以来国語の先生として長年勤めてきました。国語の教え方というのはとても難しいと言われますが、実はそうでもなくてポイントを押さえればかえって成果が出しやすいくらいです。面白い国語の先生になろうと思って、いろいろ研究したのは確かですが、少々やりすぎて、ほぼ毎日どこかで教えている状態になってしまい、すっかり大学がお留守になってしまったのも否めません(笑)もっとも、選択科目で国文学系を多めに取っていたので、大学での単位取得の足しにもなりましたけれど。

一時は長髪をなびかせ(笑)、革ジャン・ブラックジーンズのロック兄ちゃんって格好で枕草子とか教えていましたが、卒業時には髪も切り、一応就職活動もし、色々と回りました。最終的には大手塾にいくつか内定を頂いたり、一般の企業にも頂きましたが、結局は「残って欲しい」という申し出を頂いてそのままアルバイト先の塾へ就職しました。しかし、この頃が一番私は「生意気な学生」だったのだろうなぁと、今振り返ると思います。本当に、今考えると赤面してしまいます(笑)

というのは、就職活動を通して、「会社」を沢山見てきますから、知識だけは豊富になります。大きな会社の論理も聞きますから、それをどこの会社でもあてはまる「スタンダードだ」と捉えることが多かったように思います。ゆえに、いろいろ塾長に対して意見を言っていました。大手でやる研修がかっこよく見えて、自分のところの研修が初歩的過ぎると見えて「そういうことじゃない」と言ってみたり、経営計画を教えて欲しいと言ってみたり。生徒募集に予算をつけて欲しいと言ってみたり。

でも、あれこれ言ったのも、結局は根無し草で、何か確証があって言っていたのではなく、結局大手や異業種で見聞きしたことを聞きかじって偉そうに言っていただけだったのだろうと思います。形が重要だと思っていて、地道な泥臭い努力をすることがかっこ悪いとも思っていたのでしょう。いやはや、本当に恥ずかしい。結局最初に赴任した分教室で生徒を増やすことも出来ず、1年で頼りにしていた上司が退職したため、後を追うように年度の途中で退社をしました。

今考えると、何を考えていたのか(笑)
甘ちゃんのくせに、生意気なことばかりを言って、提言なんてしてみちゃったりして。その当時はもちろん自分の未来を見据えたかったのもありますし、この先どんな未来が待っているのかを案じたこともあります。しかしながら、それを差し引きしても、まぁ生意気な若者。さぞ、塾長はストレスを抱えたことかと思います。

上司の退職を機に、人事異動があって勤務教室が変わり、さらに出勤日数の問題もあり、またいくつかの問題が起こったことで、自分の限界を感じたのが大きかったのでしょう、塾長に辞表を提出しました。結構、今でも覚えているものですね。だって、人生でたった1回の辞表提出ですから。以前から悟っていたのでしょうか、そうかと寂しそうな一言で辞表を受け取った塾長も覚えています。

それ以降、退職日まではなんとなくぎこちない空気が流れていたのですが、見かねた先輩が私を飲みに誘い、お説教をしてくれました。

「あなたも、辞めた後もこの業界で生きていくんだろう? だったら、きちんとした形で礼を尽くして出て行かなきゃダメだ。丸く収めるというのも社会人としての能力だ」

と。最初は「何を言ってやがる」と思いました。もっと自分には力を活かせる場所があるはずだと思っていました。オレは何でもできるんだという勘違い野郎(笑)

しかし。最終日。その勘違い野郎が瞬殺されます。
荷物を片付け、残った私物は後で取りに来るようにして、「今までお世話になりました」とご挨拶をしました。7年もお世話になったのですから、さすがにそこはちゃんとしなきゃと思ったのですが、それでも形だけだったような気がします。

すると、塾長は、
「この後、少し飲みに行こう」
と。私に説教した先輩も一緒に。確か塾長の奥様も一緒だったと記憶しています。せめてもの送別会という感じだったかと思いますが、席上、塾長は「お疲れ様でした」と、記念品を下さいました。ベルトやキーケースやらのセットだったかと。この時点で勝負は決まりました。完全に私の負け(笑) どちらが「大人」であったかといえば、もう塾長には全くかなわなかったわけで、ちゃんと私の餞別品まで用意してくれていたとは… ちょっと泣けてきました。

帰り道、その先輩には電車内で、「あなたの言う通りでした」「きちんと最後にお話ができてよかったです」と素直に感謝しました。生意気だった私の鼻がペキンと折れた瞬間でした。

その後、知り合いの塾に招かれて行ったところ、そこの塾長が急逝し、悪友とともに塾を引き継ぐことになりました。もちろん経営のケも知らない生意気な学生みたいな若造ですから、あっという間に塾を大ピンチにしてしまい、大変な目にあいました。必ずやってくる「因果応報」 そこで、様々な方々のお助けを頂きながら何とか10年ほど千葉で塾経営をして、結婚を機に東京へ来て10年。謙虚さと、人を大切にしなければいけないことを学びました。

実は、その私が初めて勤めた塾の塾長先生に、昨年の20周年記念のパーティにおいで頂きました。実に23年ぶりの再会。フェイスブックなどではお元気な様子を拝見していたのですが、実に変わらずお若い。お忙しいのにご無理を言ってご出席を頂き、そしてその会の最後に、先生に花束を贈呈し、若かりし頃の非礼を改めてお詫びし、そして塾業界で生きてこれたのは何より先生のおかげだと感謝の言葉を申し上げることが出来ました。もう、途中涙が出てしまって、言葉につまることが多かったのですが、とにかく、あの送別会の時点で完全に「この人にはかなわない」と思っていたのだということもお伝え出来てよかったです。

学生など、何の実績もないのに、聞きかじりや、授業や本でお勉強した理論で一生懸命食いついてきます。しかし、一度社会に出てみれば、自分の力でお給料を稼ぎ、キャリアを積んで実績を高め、より上級職を目指して働くことがいかに大変なことかがわかります。まさにそれが私でした。

今の桜学舎。
教え子やスタッフの若者たちも、比較的ざっくばらんにモノを言える環境だと思いますが、それでも何でもかんでも言えるわけではないでしょう。社会の厳しさなどわからない、だからこそ「生意気」であるのが若者の特権であるとも言えるのです。社会に出れば、キャリアを積む努力なしに実績を伸ばすことなど出来やしないことも学びますし、給料の原資となる財源が無尽蔵であるわけではないということも学びます。その上で生意気であるのが若者。

今、私は生意気を言われる立場になりました。
若い頃の自分を見るようで歯がゆかったり照れ臭かったり。
「ああ、これって、若い頃のオレだ」
と思うことが多々あります。あの時塾長はこんな気持ちだったんだなぁと、改めて思うことがあります。

私が退職した後、実は塾がどうなったのかはよくわかりません。
でも、その後の経緯をお聞きすることは、もしかすると私のこれからの糧になるのかもしれません。現在の桜学舎の成長の先には、必ずや困難や苦難があることでしょう。思いもよらぬところからほころびが出たり、思わぬところから反乱があったりするのかもしれません。そんなことのないように気を使っていますが、それもまた私たちの疲弊になってはいけませんし。頑張って頑張って、ある時プツっとエネルギー切れで塾をやめてしまった、なんていう知り合いも何人かいます。 そうならないために、私たちはもっとマネージメントの勉強もせねばならないと思っています。

若い頃に勉強はしておくものです。
でも、自分の未熟さをしっかり自覚できて、生意気なことを言わずに下働きができた人間が、私の周りでも「成功者」になっています。あえて、分かった上で「修行」ができる賢い人間だったのでしょうね。私はそいう人を、若い頃は、大勢に迎合したかっこ悪い奴だと思っていたフシがあります。 しかし、若い頃の基礎がない人間は、私みたいな根無し草になり、大人になってから改めて勉強し直さねばならないことがたくさんあります。それは教科書で習うことではなく、仕事をして常識として身につけていくこと。経験として積み上げていくことです。バカは私だったんですね(笑)

就職活動中にある会社の社長が話した言葉が印象的で、今でも覚えています。
「学生なんて、今は何の価値もない。でも、君たちにあるのは将来性だ。だから学生を採るんだ」
入社してから数年は、正直会社にとって利益を生み出す人材ではありませんが、将来大きな利益を生み出せる力を持っているだろうからということで採用されているわけです。最大の価値は「将来性」なんだなと。でも、生意気に上の方へ偉そうなことを言ったり、浅はかな知識で批判をしたり、自分は何と愚かな人間だったんだろうなぁと恥ずかしいし、それを素直にお詫びできたのが50歳とは、何とも人として恥ずかしい限りでした。 

さて。改心した生意気な学生である私は一体どこまで行けるのか。
根無し草であることには変わりないのですが、前に進むこと、謙虚に勉強することを忘れたら終わりだなと思って毎日を過ごしています。

「こんなんじゃダメだから」
「世間の皆様はもっと働いてるから」
「お前なんて遊んでるようなもんだ」

と自戒して、50目前にしても修行の日々です。
塾長に、そして多くの方に生かしていただいた30年。
2018年も頑張らねば、と思っています。