勉強はなぜしなきゃいけないのか、と問われることは、職業柄よくあります。
特に、勉強が得意ではない子(中学生が多い)に、勉強なんてしなくても大人になってから困ることはないとしたり顔で主張されるという経験は何度も何年も繰り返される風物詩のようなものです。

勉強はなぜ必要か。

そりゃ自分の興味に従うだけで生きていたら楽チンですし、楽しいでしょう。
しかし、人間として、または仕事をしたり社会で生きて行くスキルを身につける上で、「成長スピード」が著しく遅くなって損をすることが出て来ます。また、自分の興味の範囲がなかなか広がらないので、自分の守備範囲というか、「出来ること」が一向に増えないというデメリットもあります。

しかし、そうは言っても人間が自分で学ぶ量には限界があります。だから、若い頃にある程度一気に「概論」をザックリと勉強してしまうことがメリットにもなるのです。ある程度の「強制力」が働いて、未知のものを勉強してしまえば、もしかしたら一生興味を持たない分野も、そこで「出会う」ことによって興味の対象に入る可能性はあるものです。

私は、学校の勉強とは本来そういうものだと思っています。
学校の勉強自体が直接的に役に立つことはあまりないでしょう。しかし、興味の範囲を一気に広げ、自分にとって面白いか面白くないかを仕分けする作業としては非常に有効だと思っています。
だからこそ、そういう勉強は楽しくなきゃダメだと思いますし、つまらない授業はダメなんだと思います。興味のないことをつまらなく教えられたら絶対に興味なんて持ちませんから(笑)

「受験勉強なんて勉強じゃない」という人がいますが、私は上記のような考えから、受験勉強を通して幸せになる「種」をいくつも子どもに与えたい、と思っています。

少なくとも、私にとって「学校」を作ることは現実的ではありません。その昔、経営に行き詰まった学校を譲渡するという話を聞いたことがありますが、全然現実的な話にはなりませんでした。その学校はどなたかが買い取って新しい学校にされたようですが、それも失敗して二転三転しています。学校なんてそんな生半可な気持ちでできるようなものではないのです。いくら教育的なことを考えたところで、学校を運営するとなんて出来ません。

私たちにできることは、せいぜい受験を前にした受験生を応援する程度のこと。ゆえに、人生の中でも貴重な受験という「勉強に向き合う」機会を有意義に生かし、そこで「知」の種を撒けたらそれでいいと思います。

例えば、日本史を勉強したら京都に行きたくならないか? と問います。
「京都なんて遠くて行けない」「現実的でない」「お金がない」と言い訳する生徒もいますが、「青春18きっぷって知ってるか?」と問うのが私。生徒がやりたいこと、やるべきこと、そして「知」に興味を持った時に、それを現実に導く知恵を授けられるのが教育者ではないかと思います。 

1年間留学に行きたいと思っていても、お金がないから行けない。
そうでしょうか?
1年の留学に行けないのなら、半年、いや3ヶ月、1ヶ月でもいい。まずは行って行動すること。
そして、「足りない」「もっと行きたい」と本気で思ったら、帰国後に必死になってバイトするなり利用できる制度を探すなどして、金を工面してもう一度行くでしょうからね。だからまた行ける。

「お金が貯まったら1年行く」などと言っている人は、おそらく一生留学には行かないのだと思います。最初から100点以外認めないなんてのは完璧主義者の戯言であるのと同じことです。

100点でないのなら0点でいいという考え方は、何か変なものに影響されていないか?と心配になります。100を取るためには、まず20点から取りに行け、と私は言います。0点のまま「100点が取りたい」と言っていても始まらないもの。まずは20点で恥をかけ、ということです。

しかし、その20点がやがて60点になり、60点が90点になり、100点になれば結果は同じ。むしろ何度も行けてお得ってもんです。華麗に一発で決められる人は優秀ですが、一般人はそうではないと思うのです。だから、少しずつ向上して行くやり方というのもきちんと理解してほしいと思っています。

人生を、楽しく、ワクワクしながら、夢を持って生きる生き方にはちょっとしたコツがあるのです。
それは、足を止めないこと。
楽しいところにしか人は集まらないし、楽しくなければ人は動かないものです。
そりゃ楽しいことばかりではなくてキツイこともあるのですが、そのキツイところも含めての「楽しい」というものです。準備も後片付けも含めての楽しい「文化祭」、というのと同じことです。ステージを作ったり、作品を作ったり、スポーツで活躍したりする人は、そこが十分に分かっているだろうと思います。ワクワクしながらキツイ準備を進める、これが楽しい人生の生き方だよ、と子ども達には教えたいと思っています。

受験勉強だって、大学進学だって、何だって同じこと。
未来の自分なんて誰も分かりゃしないのです。自分自身ですら分からないもの。
でも、分からないからこそ未来はワクワクするものです。自分のこれからの人生が全部見えてしまったら、人は生きることをやめてしまうでしょう。

だから、ワクワクして受験勉強をして欲しいのです。勉強の中身にワクワクしろと言いたいのです。たとえば日本史なんて出て来たものを全部見たいと思って勉強して欲しいもの。大学時代に教科書巡りの旅をしようと思って勉強しろと言いたいところです。

私も、古文を勉強して延暦寺に行って、どこで「かいもちひ」をしていたのだろうと思いを馳せ、御室の仁和寺に行き、どこが「木寺」であろうと境内を眺め、「今は昔、一条の摂政殿の住み給ける桃園は、今の…」と世尊寺を探したくなりました。

ホテルガーデンパレスの前の蛤御門の刀傷に感動したり、高崎から日光例幣使街道をたどってみたくなったり、伽藍配置を確認したくなったりするものですよ。日本史を勉強したことがあればね。

知的好奇心を養うことが大切だと、何より私は勉強を教えていて思います。受験勝者でなくてもいいのです。むしろ、受験勝者であることしか誇れないような子にはしたくないというのが正直なところ。

たかが受験勉強です。
されど、テクニックや傾向と対策に頼るような根無し草の勉強は論外。興味関心の種を撒くことが私たちんも何よりの重大な任務です。