「ルールの分からないゲーム」
ってプレイしたことありますか?

これ、困りますよね。
どういうルールでゲームが進行するのかを教えてもらえない、つまりルールブックがない状態でゲームをしろと言われているのと同じです。そんなの、審判の腹ひとつじゃないですかね。
「ハイ。AくんはNG! BくんはOK!」
「私とBくんはどう違うのですか?」
「それは教えられません」

え?
こんなの、公正なゲームだとも思えないし、そんなのプレイする意味がありません。

よく生徒たちには、「宿題はともかく、解答のない問題集は手をつけるな」と言い聞かせています。答えがないのに問題を解くなんて無意味もいいところ。勉強になりません。だって、出した答えが正しいか正しくないかがわからないのですよ? そんなものやる意味は全くありませんので、「答えのない問題集など捨てろ」とまで言っています。

自分の点数を教えてもらえない、レベルも教えてもらえないゲームはどうですか?
今自分が何点持っているのか。あとどのくらい足りないのか。
そんなのわからないと努力のしようもありませんよね。どのくらい頑張ればいいのか、可能性があるのか無いのか。それすら教えてもらえないゲームなんて、プレイしたいと思う気が全くしません。むしろ「理不尽」過ぎますね。

ゲームなら百歩譲ってそれでもいいです。
所詮お楽しみ。ゲームですから。ダメならそれでもいいじゃないですか。遊びだから。

でも、そうじゃない場面で、むしろ人生の選択の上で重要な場面で、このゲームをプレイしないといけないことになったら、あなたはどう思いますか? このゲームに自分の人生を預けることが出来ますか?

持ち点は教えてもらえません。
点数の付け方の明確なルールも教えてもらえません。
どこをどうすればいいのかも教えてもらえません。
そしてその点数で希望するものが手に入るのか入らないのかも教えてもらえません。
それは、ルールの審判がOKかNGを出すだけ。
判断基準も分かりません。

最近、「何だかなぁ」って思うことがあります。
理不尽だなぁとも。
どうしてそんな事になってんだろうか?と疑問に思うことも。
中学の進路指導についてです。

もっとシンプルに。
努力が報われるように。正当に評価されるように。
先天的な能力や才能で評価する場合と、努力で評価する場合とを分けるべきでもありますよね。
学力重視と言いながら学力だけでは評価しないという矛盾。
いいんです。
明確なルールが提示され、平等・公平に評価されるのなら文句はありません。やりようがありますからね。努力の方法も、また、やり甲斐もありますから。

ルールが明かされないゲームは不公正だと私は思います。
評価の基準や客観性が担保されないのも、不公正だと私は思います。
関係者の方々にどうかご一考を頂きたいものです。