「わたし、定時で帰ります」
というドラマを時々見る機会があります。
ああ、何となく「国策ドラマ」の匂いのする、アレですね(笑)

昔、雇用の流動化が政策として打ち出され、派遣社員になって、自分らしい働き方をするというような風潮が作られた頃(あれは、小泉内閣のときでしたっけねぇ?)、「ハケンの品格」というドラマが出てきて、あぁ、これも国策ドラマ?なんて笑ってたのを覚えています。

今度は働き方改革の世の中。まぁ、「国策」というのは冗談としても、かなりハッキリと世相を反映したドラマであることは間違いありませんね。 

さて。そんな中、私は日頃大学生たちと接することが多くありますが、その彼らの会話の中で、一番嫌いな言葉あります。それは、

「社畜」

という言葉。家畜ならぬ、会社に飼われている家畜のような奴隷的働き方をしている人々を揶揄する言葉です。

私自身、会社に隷属して生きることが出来ない人間でした。だから、あえて会社に属さないで、自分で仕事を作り、自分の時間で生きることを決意してココまでやってきました。

塾の先生としては31年。
自営というか、かっこよく言えば会社経営者としては22年。
5年以内に半数以上の会社が倒産すると言われる中、一応22年も会社経営を続けてこれたのは、有り難い限りだなぁと思っています。

こんな経歴ですから、かつては、その「社畜」なんてバカバカしい生き方だと思っていましたし、みんな自分で自分の時間を生きればいいと思っていましたし、自由に生きることが大切だとも思っていました。もちろん、生徒たちにもそう言ってきたきらいはあります。特に、社会の枠に収まりきらないような子達には、既成概念にとらわれるなと、それは今でも言い続けることです。

しかし、最近はとても重要なことに気づいています。
それは、全員が全員、自由に生きられるわけではないということ。そして、自由に生きる「資格がない」人たちもかなり多いということです。

この「社畜」という言葉を使う人達は、残念ながら自分の時間を生きることなど出来ない人たちだと思います。いや、というよりも自分で仕事をしていくことなど出来ないといったほうが正確かもしれません。本当の意味で、自分の時間で仕事をしている人は、決して汗水たらして愚直に働く真面目な人々を馬鹿にしたりはしません。なぜなら、自分がスマートに見えながら、実は裏では並々ならぬ努力をしていることを自覚しているからです。

「オマエになんて絶対オレの真似は出来ない」
そう思っているから、他者からはスマートに見えるわけで、常人では頭がおかしくなるほどの努力を、微塵も大変だと見せずにやり遂げているからこそ、その人は成功してるのです。そしてそれがスマートに見えるわけです。だから、当人は、不器用ながら一生懸命やっている人々を「もう少しスマートにやれよ」くらいには思っていますが、決して馬鹿にすることはありません。むしろ同士くらいに思うはず。

ところが、全く逆の、寄らば大樹の陰、虎の威を借る狐であるようなタイプの人間が、「社畜は嫌だ」などという言葉を吐くのは本当に笑ってしまいます。社畜にもなれない人間が、どの口でそんな事を言うのかなぁ?と(笑)

ドラマの中にも出てきました、 
「あなたは私の気持ちなんて全然分かってくれない」
というタイプの人間も、いい加減、腹立つ(笑)
何で分かってやらなきゃいけないのか。学生なの??(笑)
上司や会社は、アンタのお母さんじゃない。そんな基本的なことも分からないで働く子も最近は時々見かけるのでドキッとします。大丈夫かぁ?と。

桜学舎でアルバイトをすると、そういうことをしっかり言われます。というか、私はそういうことをストレートに言います。

学習する努力、社会人としての能力を身につける努力が人一倍足りない人間が、人一倍自分を過信し、自分を過大評価し、自分が何もしなくても価値ある人間だと思いこんでいます。何故自分の評価が低いかを考える前に、低い評価をした人間に対して恨み節。そう、あなたは社畜にもなれてないのよ?って言いたくなることもあるのものです。

もちろん、ブラックな働き方は私自身嫌です。
四半世紀以上前、初めて働いた会社が、週6勤務でした。しかも、日曜日に2連続で出社を依頼された時に、流石にやめようと決心しました。20連勤は流石に無理です。過酷な労働環境であったと思いますが、今考えれば、ほぼ残業は無いし、身体的な疲労もさほど無い。学校の先生の平均残業時間が130時間だとか何だとかで、80時間が過労死ラインという認定。よく考えれば、残業が1時間とか2時間の職場でしたから、甘かったなぁと思います。

桜学舎も、決して完璧な労働環境ではありませんが、年間休日は大手企業同等、もしくはそれ以上。残業もほぼなしですし、そもそも1日の勤務時間も短めに抑えて、他の長時間の日に備えるシフト制。何より社長に仕事を回してくる新入社員がいるくらいの風通しの良さ(笑)

でも、時々「社会人としての厳しさ」は教えられてないなぁと思うこともありますし、それが先々、自分の弱点になってくることは私自身が強く感じているところ。だって、お客様=保護者はその社会人ですものね。

そして学生たち時間講師には、「社会人としての基本的なこと」をアルバイトを通してきちんと教えて卒業させたいという思いが強くあります。せっかく社会に出ても人材として、職業人として、全然成長できない人になってしまうことは本当に悲しいものです。卒業生の中には、やっぱり、

「口先でつべこべ言ってねーで、とっととまともに働けや!」

って言いたくなる子もいるものです。

ましてや、社畜が嫌なら自分で生きるしか無いわけですが、自分で生きるには「能力」と「努力」と「実績」と「経済力」がなければ無理です。能力を評価してくれるのは会社員だけ。努力するなんて当然中の当然。他人に信用してもらうには実績が必要。そして何より、生きていくには経済力がなければお先真っ暗です。

「先生は自由でいいですね」

なんて、ふざけんな!って思います。
オマエが努力だと思ってないような努力を、オマエの100倍してんだって。
仕事とプライベートの境目なんて無いんだって。
旅行先でも仕事の話をしてんだって。
それが面白いと思って生きてんだって。
そうでなきゃ、自分で生きるなんてことは考えちゃダメ。
せいぜい立派な社畜になることです。

いとも簡単に、一生懸命はたらく人、家族のために頑張っている人を「社畜」だなどと揶揄して馬鹿にする人を、私は軽蔑します。みんな、ギリギリのところで、イッパイイッパイになりながら、頑張って働いているわけです。そして、子どもなんて、そのお金で育ててもらったのですよね。

そんなわけで私は「社畜」という言葉が大嫌いです。
そして、この言葉をバカにするように使う人間も、頭悪いんだなぁと思って軽蔑します。

一生懸命働く人が報われるような世の中になるように、それは本当に思います。
そして、「一生懸命はたらく人がエライ」と認められるような人に私はなりたいと思います。 
もちろん、私は一生懸命働く社員を一番評価する社長になりたいと思っています。