自分の人生を振り返ってみて、思うこと。
それは、本当に「競争」という言葉に縁のない人生だったなぁということ。

もちろん全く他人を意識したことがないとういうわけではありません。でも、「誰かに負けたくない」とか「何番になりたい」と思って頑張ったとか、必死になったという経験が本当に無いな…と思うのです。ほとんど記憶にない。

むしろ、大人に煽られると急にやる気をなくすタイプ。
「そうやって競争させようとしてんだろ?」ってひねくれてみたり、勝ったの負けたので騒いでる人たちを見て、「アホくさい」「踊らされてんじゃねーよ」っていつも思っていました。小学生と中学生の頃からそんな子でしたから、確かにチームワークは苦手。リーダーになってしまうことが多いのですが、結局独りよがり・独善タイプなので、結構みんなで盛り上がることを期待していたり憧れているくせに、その輪の中には入れないことが多くありました。

じゃ、私が何を意識していたか、何が原動力となって突き進んできたのかといえば、純粋に「出来ないことが出来るようになりたい」「知らないことを知りたい」という衝動。欲求。隣の子は出来る、オレは出来ない、え? どうやったら出来るの? どこで判断してんの? それって一体どうなってんの? そういう欲求です。

勉強でも仕事でも何でも同じ。自分がどこまで出来るのか、どこまで上に登れるのか、だけが興味の対象で、隣の子、トップの子、出来る子がどのレベルにいて、誰と誰を仮想的と捉えて「抜かしてやろう」と頑張る、そんなことはほぼ記憶には無い行動でした。

もちろん競争することの「効果」は勿論わかっています。競争した方がより良い結果が出ることももちろんあります。常に競争社会に教え子を送らねばならないのですから、常に自分以外の人を意識しろとは言っています。でも、自分は出来なかったなぁ… そんなことを最近強く思います。

あまりに「競争」だけを意識すると、たとえば78点の子に勝つには、80点取ればいいという発想に行きつくと思うのです。80点を取るための勉強をしますから、受験でもそうですけど「捨て問題」とかが発生してきます。無駄な努力をして時間を浪費するのではなく、効率的に「勝ち」を拾うには、確実に80点の取れる勉強をする。戦略的には間違っていないのですが、これが果たして「教育」「勉強」かな?という疑問を常にはらみます。残念ながら学生の頃や若いころから私はココが「当事者として」は嫌だったわけで、純粋に知りたいことが知りたい、出来ないことが出来るようになりたいという欲求に従って勉強を続けていました。

「結局さ、合格点取れば受かるんでしょ?」
って言ってました。受験倍率や他の子の合否ばかり気にしているような生徒にも時々こう言いますが、「全部知りたくないのかよ?」って思ってしまいます(笑)

余計な寄り道もしてしまうので、「効率」から考えると全然ダメな勉強なのですが(笑)、どうしてもそれが私の勉強になっていましたし、仕事についても全く同じ傾向。どこかの塾に負けたくないとか、いつまでに教室をいくつ出したいとか、生徒数を何人にしたいとか、そういうのがダメなんですね。性に合わない。一応決めてみることもあるし、目標を作ってみることもあるんですが、「何なんだろうな…」と思ってほったらかしになるのです。

生徒10人増やすぞ!って決めて、10人増えたら目標達成!って気が抜ける自分も嫌だし、9人しか増えなかったときに血眼になってあと1人増やそうとする自分も嫌。常に「オレのやりたいことってこんなことじゃない…」という思いが沸き上がり、自分の仕事が評価される方へ意識をシフトしてしまうことが多々あります。

「焦って勉強してないんですよね」
「競争心が足りないと思うんです」
「自分を追い込んでいかないといけないと思うんですよね」

意外にも受験生の保護者って、こういうパワーワードを使ってしまいます。

「競争心」
「焦る」
「追い込む」

冷静に考えると、結構怖いし(笑)、やっぱり「スポ根」なのかな?と思ったりします。
もちろんスパルタでスポ根でやればいい結果が出るのかもしれません。でも、それは訓練の賜物。もちろんスポーツで体を鍛えるなどという場面では有効なのかもしれませんが、どうも「競争」という概念を取り払わないと、今後の教育や学習においては世界と渡り合っていくようなものになって行かない気がします。もっと知的なものにワクワクして興味を持って取り組めるような、そんな「学習」にしていかねば。そしてそのレベルが高くなった子が、結果的にレベルの高い学校で学ぶという、正常な状態にしないといけない気がするのです。

学歴社会だと、受験戦争だの。一体誰の顔を見てるのか、誰の能力を見ているのか。みんな「関門」をくぐることだけが目的になってはしませんかね。もっと知りたいことを知ろう、出来ないことを出来るようになろう、そう思うような指導をしたいと私は思っています。

それは見果てぬ夢、永遠のチャレンジなんですけどね。