みなさんは「PISA」という調査をご存知でしょうか?
Programme for International Student Assessment
の略で、PISA。
経済協力開発機構(OECD)が行っている国際的な「子どもの学習到達度調査」です。世界の15歳を対象に、3年ごとに3分野の力を調べています。

単なる知識量を測る試験ではなく、読解力や表現力、論理性など記述型で解答する問題も多く、公立中高一貫校や一部の私立中高の入試に見られる論述式の試験などは「PISA型入試」などと呼ばれたり、「PISA型の学力形成を図る授業」などをうたう学校なども出て来るようになりました。

さて、そのPISAの最新発表が12月にありましたが、15歳を対象にしたこの学習到達度調査では、さらなる日本の子どもたちの読解力の低下が表面化しました。今回発表されたのは2018年の調査結果ですが、日本の子どもたちは読解力の平均点が下がり、2015年の前回調査では8位だったところ、今回は15位にまで低下しました。

これについて調べていると、実に興味深い記事に行き当たりました。

https://www.businessinsider.jp/post-204493 

国立情報学研究所教授で、「教育のための科学研究所」代表理事・所長でもある新井紀子氏。
実は、昨年、この方のお話を聞く機会があったのですが、何かの都合で出席できなかった私。改めてこの記事を読むと、お話を聞きたかったなぁと思います。

記事の中で、現場で子どもたちを教える立場の人間として大きく頷いたのは、 

「今の子どもの多くが、中学生になってもノートが取れません。ノートの取り方自体がわからない。成績下位の生徒だけでなく、中の上の生徒でもそうなんです。板書を写させると、写すことに「認知負荷」がかかりすぎるので、先生の話が聞けなくなります。板書に認知負荷が全て持っていかれてしまい、先生の話が聞けない状態なのです」

という部分。
「それな!」
と声を大にして言いたい!(笑)

特にこれは、残念ながら私立中学生ではなく、主に公立中学生。桜学舎で言えばこの傾向が非常に強く、実感としてよく分かる現象です。とにかくノートが取れないし、メモが取れない。取っても、その他のことがお留守になってしまう子がかなりいます。

そもそも小学生のうちに、きちんと話を聴き、ノートを取るという訓練をしていなければ、大人になってからこれを鍛えるにはかなり高いハードルが待っているようです。これだけでも小学生のうちからしっかり勉強させる必要があることは確信めいたものになりますよね。

もう1箇所。
 
「手先を細かくコントロールしなければならないタスクが家庭内で減っています。そのまま小学校に入学してくると、雑巾を絞れない、トイレでお尻を上手に拭けない。その状態では字をマスの中に書けない、定規で線を引こうとしても定規が斜めになってしまって上手く線を引けない。だから「ノートに定規で線を引いて」と指示すると、全員が書き終わるまでに何分もかかってしまう」

という部分も、大きく首肯。そうです、その通りです。
今の小学生が昔と大きく異るところは、指示をきちんと聞けないというところ。全員がきちんと揃って動けずに、授業が始まっているのにまだノートを開いていない子がいたり、「待って、待って」と準備をチンタラやっていて叱られる子もいます。マイペース過ぎて、「大丈夫か?」と思ってしまう子も時々いますが、これはやっぱり教育の問題。しつけの問題ですから、しっかりと大人が、粘り強く言っていくしかないのでしょうね。

重要なのは「粘り強く」だと思います。一度言っても改善するわけがありませんから。
でも言い続けたり、その意味がわかってくると、行動が変わってくるのも事実です。

ただ、やはり現場に立ってみて、久々に中3の国語を担当してみて、「一体公立中学校の国語の先生は何を教えているのだ?」と頭を抱えてしまいました。文法的な知識はほぼゼロ。語彙力も全然なくて、知的な幅広い雑学知識も皆無。漢字の部首も、書き順も、文学史も、とにかく「知識は不要」「Googleで調べればいい」くらいの勢いで、何も知識として持っていない子が増えたなぁという実感を、本当に持っています。 

国語のリスニングみたいなことも学校でやっていると聞いているので、結局、いろんなことを詰め込みすぎてしまった結果、学校でも非常にちぐはぐな授業が行われているのではないかと推察しています。
「えー、それ、一から教えるのかぁ!」
という事がかなりありました。
「学校の先生教えてくれないのか?」
と聞くと、やっぱり「初めて知りました」という反応ばかり。よほど、横で勉強していた小6受験生の方が知っています。

「論理的に書くべき」
「筋道立てて話をすすめることが大切」
だと言うことがかなり言われていますが、実際、論理的に、筋道立てて、物事を考えたり学んだりするためには、まず絶対的に、

「文法的知識」は必要です。すべての日本語の原点となる、「言葉の運用ルール」が文法です。ルールを正確に運用することが出来るからこそ、論理的に、筋道立てて組み立てて論述が出来たり、思考ができたりするものです。言葉が正確に運用できない人間に論理的思考は出来ません。これは、現代文の神様・出口汪先生もおっしゃっていることですね。「はじめに言葉ありき」ではありませんが、まず正確な言葉の運用が課題になります。

次に語彙力。漢字とはチョットまた別になりますが、少なくとも語彙力が少ないと表現できる幅が減るので、PISA型のような学力測定の場合は、結局大きなマイナスになります。 

これは出口先生のお話を聞いた時に出てきたのですが、いわゆる「不良」と呼ばれる子たちは、すぐに、
「ムカつく」
と言いますが、本来様々な表現方法があったはずなのです。色んな場面で、いろんな表現をすべきだったのですが、語彙力があまりにも少なすぎるので、不快に思ったことはすべて「ムカつく」という言葉に集約されてしまうのです。本来「ムカつく」はそこまでの多義語ではなかったはずなのですが、本来の意味を超えた新しい意味までで始めるほどの使用頻度。語彙力の低下、学力の低下は、やはり「ムカつく」にたどり着く結果になるのです。「ヤバい」の超多義語化も同様の構造が見られるのだと思います。

ですが、現状、学校の授業にコレ以上のものを求めるのは非常に難しいでしょう。文科省から押し寄せてくる授業改革や学校改革の波。 コレがある以上、現場の先生にコレ以上の対応を求めることは不可能だと思います。先生方は「無駄」とも思えるような書類作成や管理業務に追われて、生徒の顔が見られないという話まで聞きます。

教育はあくまで家庭の問題。家庭の方針。
重要なのはお子さんをどう育てるか、どう育ってほしいか。そこでしょう。勉強させるのか、そうでないならどう行きていかせるのか。部活とゲームとYoutubeで終わる10代では未来は見えないと思います。単に「受験勉強しろ」ではなく、知的好奇心を高める教育を早期から始めねばならないと思います。

そのあたりを一緒に考えていけるといいなぁと思っています。