桜学舎を訪れる保護者の殆どは、お子さんに「自信を持って欲しい」とおっしゃいます。が、自信が生まれるメカニズムを本当に理解している方はこれまたほとんどいません。

自信というものは「よし、自信を持つぞ!」と思って持てるものではありません。そもそも自信とは、本心から自分を高く評価していることが源泉です。重要なのは「本心から」というところ。

「オマエ、これ、やれる自信あるのか?」
「ハイ! 自信あります!」

と勢いで言いながらも、本当は「やべーなー…」って思っている場面を経験したことがある人は、大人でもたくさんいるでしょう。これは本心からの自己評価が高いわけではないので、「自信」の源泉にはなりません。むしろ、

「そこまで自信はないですが、頑張ります」
なんて謙虚に言っておきながら、自分で100%出来ると思っている人は、まさに「自信のある人」なのです。

ではその自信を持つためにはどうしたら良いか。これは意外なことに、フランスの哲学者・スタンダールが書いた「恋愛論」にヒントがあります。

実は私、大学の卒論のテーマが「ニューミュージックにおける恋愛の描かれ方」で、当時のオリコン上位100曲の歌詞と、スタンダールの「恋愛論」の相関関係や、その裏付けとして企業が実施したアンケート調査や意識調査と照らし合わせるといったことをやりました。

スタンダールには様々な評価がありますが、「なるほどなぁ」と思うこともかなり書いてあります。名著と言われる所以は、意外にも「恋愛」意外にも応用できる人間心理の分析なのではないかと思っています。

さて、恋愛論の中で、「魅力」について分析する部分があるのですが、ザックリ言うと、

「自信を持つためには、自分の魅力的なところだけを意識する」

ということが大事だと言っています。勿論、ダメなところ、至らぬところがたくさん目につくことでしょう。しかし一度これらに全部目をつぶり、棚上げして、まずは自分が優れた場所、長所だけに目を向けることが重要なのだそうです。そして出来ることを徹底的に伸ばすことで自信が生まれてくるのだと、スタンダールは言っています。

ともすると、勉強においては「国語は出来るんですが、数学が出来ないんで、徹底的に数学をやらせたい…」なんてケースが多々あります。「出来ないものが出来るようになれば自信が生まれる」、人はついそう考えがちですね。しかし実際は逆で、出来るものを伸ばすことで自信が生まれ、それが波及して他の出来ない部分への努力に繋がっていくのです。

現場でも、そういうことは確かに多いと思います。

何年も前にいた、文章題が出来ないながらも漢字は大好きだったAくん。徹底的に漢字語句を伸ばして、何とか算数とあわせ技で中学に合格した子でしたが、高2で開花して有名大学へ進学しました。

昨春も国語が出来ないけど、算数は大得意になったBくん。自らの力技で特選コースに合格し、現在数学は学年6位だそうです。ほかもやれよ!とは突っ込まれていましたが、やはり数学に引っ張られているので、赤点だの進級のピンチだのには陥ってないようです。

社会の女王と呼ばれたCさんも、出来ない算数に果敢にチャレンジして、見事に有名私立中に合格していきました。本当に「目玉どこ付けてんだ!」って私に毎日のように叱られていましたが、自信のある子は叱られたって平気なのです。悔しいって思えるからですね。「社会はスゴイのに、なんで算数出来ないんだろう…悔しい」って思ってくれるから、こちらも心置きなく鍛えられます。自信のない子は、叱ったら凹んでしまうので、ビシビシ叱れません。「考えるのはオマエの仕事だよ!」と突き放すこともなかなか出来ません。だから伸びも遅い。


自信をつけるためには、確かに「出来ることを徹底的に伸ばしてあげる」、そして「自己評価を高めるようにしてあげる」ということが最短ルートだと、私も思います。


「算数ばっかり出来たってダメなんだよ」
というのは、自信が芽生え始めてからの話。まずは出来ることを徹底的に伸ばして、褒めて、自己肯定感持たせる。スタンダールもそう言っているのだと、私は解釈しています。

もちろん、単におだててるだけじゃダメです。本当は出来ていないのに、わざと褒めるのもダメです。実績に対して褒めねばなりません。そこが「本心からの評価」に繋がります。ハリボテの評価はダメなので、そこは大人がよーく理解しておいたほうがいいと思います。