「おう!○○、ひさしぶりー!」
と声をかけた小学生男子。

「ねー、最近ってさ、4階にいるのぉ?」
と。

「そうだよ! どした?」
「最近、会えないなーって思って」


そうですね。
特に火曜日は塾長の授業がないので、4Fにいることが多いもの。実は一人で引きこもって仕事しているわけではなく、4Fは今や特等席になりつつあります。とにかく4F自習が気に入ってしまった子が何人かいて、常に数人の子が自習に来ています。入れ替わり立ち替わり来るので、1日の延べ人数で言うと10人くらいがやってきて勉強しているので、私も生徒と接していないわけではないのですが、やはり1Fでいろんなこの顔を見ているのとは異なります。

会えなくて寂しい子もいるでしょうね。すみません。


最近、塾長は教室では少しだけ引っ込み気味ですが、それはちょっとだけワケがあります。これは塾の永続に関わる問題なので、かなり真剣な話。結構本気で取り組んでいることでもあります。


この塾業界。
すでに30年以上身を置いていますので、こんなヘッポコでも一応プロ。下手をすると「ベテラン」扱いされてしまいます。52歳という年齢からすると、先輩方は順調な世代交代をされている方が多く、若かりし頃千葉でお世話になった塾長先生たちは、皆ジュニアに塾を任せて悠々自適。ライフワークとして塾で生徒指導をしているという塾長も多いものです。

皆、「家業」としてきちんと塾を継ぎ、発展させています。一番すごい方ですと、家業で始められた塾が、今や千葉県では「大手」と言われるほどに発展されているところも。




さて、我が身を振り返ってみると、残念ながら私達には子どもがいません。恵まれなかったのか、機を逸したのかは分かりませんが、残念なことに子育てをする機会には恵まれませんでした。

偶然にも、私の友人たちにも子どものいない夫婦が多くいますし、塾業界、意外に子どものいない塾長はいるものです。私の師匠も、千葉でお付き合いしていた塾長たちも。ただ、その彼らの「子どもがいないからこそ、子育てに参加する仕事をせねば」という言葉に勇気をもらってここまでやってきたという話はどこかでしたかと思います。


私達の仕事やライフワークとしての「塾」なら、それはそれでいいのです。ただ、そうなると、私達ができなくなったら終わり、ということになります。跡継ぎをしてくれるジュニアがいないわけですから、当然でしょう。


52歳。

決して遠い未来のことではありません。普通の職場であれば、あと8年で定年です。健康で生きている保証すらない年齢です。友人の某大手電力会社役員は、役員であるがゆえに57歳で定年だそうで、「あと5年だよー」と嘆いていました。ついこの間まで一緒に高校で遊んでいた気でいたのに(笑)


この先塾をどうするのか、ということを考えたときに、やっぱり2つの選択肢があるのです。それは、

〇簔ができなくなったら終わり・塾を閉める
誰かが引き継いでいく

散々悩みましたし、いろんな施策も試しました。後継指名もしたことがありますが、上手くは行きませんでした。結局、誰がやるとかは決めることなく、それでも「桜学舎」が続いていくように、「継承されていく形」が取れるようにという準備をしはじめる、というのがその答えとなりました。

現在は、メインで授業を行っている浅見と酒井、それに後方支援部隊である平原と浅見(里咲)、この若手4人が力を合わせて1教場を運営していく事ができる力を蓄えている時期。私がそれを「任せて見ている時期」であります。塾長が出ていって、何でもかんでもやってしまえば楽なのです。私が面談して、私が決めて、私がトップダウンで「やれ!」って言えば、すぐに出来ることもあります。


しかし、それでは人が育ちません。考えて行動する社員が育たないのです。結果、お客様である保護者にも、そして生徒たちにも迷惑がかかり、サービスの質の低下にも繋がります。今、きちんとした運営ができる人間を沢山育てておかないと、本当に私が病気でもしたら塾が終わり、受験生も放り出さねばならないような状況になります。


私が千葉県で塾経営者になったいきさつは、まさにコレでした。
勤めていた塾の塾長が急に市長選挙に出馬し、その穴埋めを必死にやっていて、落選して帰ってきたと思ったら今度は急逝。これが「ひと夏」に起こったのです。塾はある、生徒はいる、塾長いない… せめてこの生徒たちが路頭に迷わないようにと塾を続けたのが、千葉で11年経営した塾。そこから東京に引っ越して現在に至ることに。


その先代が亡くなったのは57歳。私29歳。
その後数年の私の苦労は並大抵ではありませんでした(笑)地獄というか、惨めというか、悲惨(笑)ホントに苦しい時期がありました。だから、あの苦労は若者にさせてはいけないと思っています。


マスコミに出る作戦なのは、彼らの武器づくり。
自ら広告塔になり、いろんなところで露出を多くすることで、彼らが活躍できる場を作り、「有名な塾長ですよ」「いろんなことやってる塾ですよ」といった、彼らの「武器」となるべく、おっさんが一生懸命色んな所に出ていっているのです。タレントになりたいわけじゃないのです。生徒集め、営業活動より、彼らには生徒指導に専念してもらえるように、外向きの仕事を私が請け負っているのです。


ちょうど、「ジャパネットたかた」さんの戦略と同じですね。私が高田社長、そして浅見や酒井が今通販番組で喋っている塚本さんみたいなポジションになっていく、その途中だということです。今は社長のキャラを売り、浸透させているところ。

もちろん、私も現在は小5算数(2クラス)と、小6算数の授業をしていますし、つい最近まで中3国語も受け持っていました。個別の子も2人。来年度は国語力養成ラボも一部受け持つ予定。現場には出ているのですが、やはり私が万が一いなくても、影響がなく授業が運営されていく状態を作っておく必要があります。


「塾長も引退が近いのか?」
と勘違いされるかも知れませんが、そういうことじゃなく、多少現場にいなくても、何事もなく運営されていく状態を作っておきたいということなのです。


正直。
好きでやってきたことですから仕方ありませんが、まぁとにかく年がら年中仕事してきました。日曜でも盆暮れ正月でも関係なく。やりたいときに夢中になってやりたいことをガッツリやってきました。でも、もうそろそろそれが若い頃の半分くらいしか出来ない体になってきたのも事実ですし、私の自由気ままに突っ走っていく仕事ぶりに付き合ってくれた妻にも、すこし時間を作っていきたいという気持ちもあります。

さらに、幸いなことに90を超えてなお健在である私の両親や、やや困難を抱えつつ暮らす妻の父にも、やっぱり時間を作っていくべきだろうなぁと思うこともあるのです。それには、常に塾長がいないと現場が回らない職場では困りますし、何でもかんでも塾長じゃないとダメなんだという塾でも困るのだと思います。


そういう意味で、少しだけ、現場が上手く回っていくために、私が少し引っ込んでいるという状況をあえて作っていたりします。もちろん、後方からいろいろなことは見ていますので、彼らに丸投げしているわけではありませんのでご心配なく。「若い先生がやってくれるから、塾長は楽ができますね!」なんて思われるかも知れませんが、むしろ、人を使う方が疲れるものです。自分でやったほうがどれほど気楽か!(笑)

4階の扉はいつも開いてます。それが分かった生徒は、4階に入り浸り中(笑)もちろん勉強しにくるのならOKですし、お話に来るのでもいいですよ。

私も少しコロナが落ち着いたり、受験が落ち着いたりしたら、「見回り先生」になって教室をウロウロしている変なおじさんになろうかとは思っています。少し世が落ち着くまでの辛抱かなと思っています。